植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

「そんなの好きなの?理解できない」は残念な思考停止かも。

僕は、アニメやプラモデルやゲームが好きです。
他にも好きなことはたくさんあります。

自分が好きだと思っているものを否定されるのは悲しいです。
なぜなら、それは「お前の考え方や、判断は間違ってるよ、おかしいよ。」と言われているようにも思えるからです。

人間の自我は、単なる思い込みです。とても弱いです。
だから「おかしい」「まちがってる」と言われるのは怖いです。

でも、そもそも、なぜ、他人が好きなものを否定する人がいるのかな?と思います。

コーヒーをブラックで飲むのが好きな人もいるでしょう。
コーヒーにミルクと砂糖を入れて飲むのが好きな人もいるでしょう。
それは、人それぞれの自由です。
でも、ブラックコーヒーが好きな人が、ミルク砂糖コヒーの人に、「おまえ!コーヒーにミルクとか入れたら、コーヒーの味が台無しだぞ!そんな子どもっぽい飲み方するな!」
と、その嗜好や行動を禁止したり、否定したりする必要はないと思います。

なぜ、他人の嗜好や行動を否定するのかな?と思います。
自分が嫌悪するものを好きだという人のことを、
「理解できない」「わかんない」と思う人はいるでしょう。
でも、理解できないのは、自分です。
そこに大切なのは、理解しようとする心ではないでしょうか?

残念ながら暗記型の教育では、「わかんなーい」は免罪符になってることがあります。
僕が学生の頃は、学校で「この問題わかるひと」と言われた時「わかりません」と言ったら、それ以上追求されずに解放されることが多かったです。
それに慣れてしまったひとは、「わかんない」で、それ以上の思考をしなくなるのかもしれません。
そして、そういう人たちは、他人の心を「わかろう」とはしないのかもしれません。

少なからずの人が、自分の好きなことや趣味を、人に話せない状態にいます。
話したらバカにされる。否定される。と思うからです。そういう経験しているからです。
それは、ひととひととの関わりやつながりの可能性を減らしてしまう寂しいことです。

だからこそ、「そんなの好きなの?理解できない」と思った時には、「理解する努力」をしてみたらいいかもしれません。
そうすれば、他人の嗜好や行動を否定しなくても良くなるかもしれません。