「なぜそう思うのか考える」といいことがある。
僕が物事を考えるときに、
一番気をつけているのは、
「快」や「不愉快」で思考を終わらせないことです。
「不愉快だ!」と思ったとき、
そこで思考をやめたら、「不愉快だ!」で終了です。
でも、「なぜ自分はこれを不愉快だと思うのだろう?」と考えたら、うんと思考が深くなります。
世の中には、白黒はっきりしないこともあります。
思うようにならないこともあります。
そんな世の中で、ビジネスにしても、人間関係にしても、自分自身の「快」や「不愉快」だけを基準にジャッジしていたら、たいていのことは「不愉快」になってしまうかもしれません。
「おもしろくねえ」
「なっとくいかねえ」
「意味がわからない」
などなども、似たようなものです。
そこで思考をやめたら、もったいない。
「なぜ自分はそう思うのか?」を考えたら、
きっと、今まで気がつかなかったことが見えてきます。
残念ながら、最近のテレビ番組は、
「かわいー」「うめー」「すげー」「やばい」
などなど、きわめて脊椎反射的な「快」の表現がとても多いように思います。
でも、それだと、どんなに素晴らしい景色を見ても、
「きれー」「すげー」だけで、数分で見終わってしまうかも。
自分の心を、言葉にしてみるって、きっと大事です。
「なぜ自分はそう思うのか?」
考えてみると、いいことがあると思います。