1年の密度
先日は、安曇野市で、小学校4年生の1/2成人式に招いていただきました。
新しい市ができて10年だそうです。
そのときに生まれた子達の1/2成人式です。
10校から子ども達を集めるのは、さぞや大変だったと思います。
体育館を埋め尽くす、10歳の子ども達。
そこに、90分の話です。
うーむ。ちょっと悩みました。
小学校4年生に90分は、ちょっと大変かな。トイレとか大丈夫かな、と思ったけど・・・
杞憂でした。子ども達は、爆笑しながら、そして、真剣になりながら、話を聞いてくれました。
先日、永田先生と話をしていたら、
永田先生が、「人間は年を取るほど1年が早く過ぎる。そこで、年齢を分母にして積分してみたら、寿命を85歳とすると、半分は何歳だと思いますか?」と言いました。
僕は、なんぼなんでも、分母が年齢に1次比例はきついから、年齢のルートにしてみたら?
というと、永田先生は、素早く積分してくれました。
その結果、寿命が85歳だとしたら、折り返し地点は、なんと「20歳」でした。
すると、永田先生はさらに計算します。寿命を50歳としてみたら、折り返し地点は、なんと、「元服」の年齢でした。
うーむ。
昔も今も、成人年齢は、ひょっとしたら、人生の折り返し地点なのかも。
だとしたら、成人年齢を引き下げるって、もしかして、寿命が短くなる予兆か?
ま、それは考えすぎですが、
1年が過ぎる速度が、年齢に反比例するのであればこそ、
子どもの頃の1年は、大人の1年とは比較にならないほど高密度です。
そして、年齢が増えれば増えるほど、1年の価値が減るのかも。
だとしたら、教育は、先送りでは無く、前倒しの方が効果的かもしれません。
人間は、江戸時代でも、明治時代でも、現在でも、生まれたときは同じ赤ちゃんです。
しかし、その赤ちゃんが成人するまでに学ばなければならないことは、現在では、桁違いに増えているでしょう。
だとしたら、教育の密度を高める努力が不可欠なはずです。
これからは、小学校、中学校の授業を、今まで以上によりよくしていく努力が必要かもしれないです。