植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

「ちがう」はすてきなんです。

自分とちがうものを、否定し、攻撃する人がいます。
自分の思うようにならないことを、恨み、憎む人がいます。
自分が理解できないことを、見下し、バカにする人がいます。
この、「排他」こそが、いじめや、民族浄化などにもつながるように思います。
 
でも、この世には、思うようにならないことが沢山です。
同じ命をかけるのならば、
難病に立ち向かって欲しいです。
津波に立ち向かって欲しいです。
地震に立ち向かって欲しいです。
火山に立ち向かって欲しいです。
 
自分よりも弱い者を選んで暴力を行使する人たち。
その人達の心は、
自分が特定されない条件で相手を見下すネット評論家も同じかもしれません。
 
みんなちがって、みんないい。
みんなちがう遺伝子です。
同じ人間なんて、この世に二人といないです。
だから、僕らが、自分以外の「ちがう」を攻撃したら、
この世のすべての人が滅んでしまいます。
 
ちがう者同士が、力を合わせて、社会です。
すべての人が、様々な多様な人生を送り、
その経験を蓄積したことで、人類は成長しました。
その社会があるからこそ、人間は発展してきました。
もしも、すべて自分の力だけでやってきたら、
僕らは、生後まもなく命を落とすでしょうし、
せいぜい、石器を作って終わりです。
その社会の恩恵を忘れて、社会を、人を攻撃するのは、
ものすごく愚かな行為だと思います。
 
同じ人間が力をあわせても、力×人数、にしかなりません。
人間の成長をあてにしないと、力×人数は、大事な要素です。
でも、人間は成長するのです。
足りない者をささえ、育てれば、力はどんどん増えます。
だから、人の命は可能性です。
その命を、「自分とちがう」程度で奪うのは、人類レベルの損失です。
 
僕ら人類は、「ちがう」をすてきだと思った方がいいです。
「ちがう」は可能性です。
だって、「同じ」だと、一つのウィルスで滅んでしまうかもしれません。
それを僕らは知ってるから、わざわざ自分を半分にしてまで「交配」するのです。
わざわざ、「ちがう可能性」に賭けるのです。
 
 
僕ら人類は、「ちがう」をすてきだと思った方がいいです。
と、僕は思います。