植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

人から怖がられたい人たちは、自信がないんじゃない?

以前、ショッピングセンターの駐車場にいたら、
そこに、車高ぺったんこで、大音量の音楽を鳴らした車がやってきました。
乗っていた二人は、サングラスをかけて、怖い感じです。
その車が、いったん、駐車場に入りました。
そこで、助手席の一人が、運転席の人に何かを話しました。
すると、その車は、駐車スペースから出て、
わざわざ二つ隣の、車いすマークの駐車スペースに車を止めなおしました。
そのときに、他の車を避けるために、けっこう苦労して切り返していました。
 
僕はそれを見ていて、
なんで苦労してまで、車いすマークの駐車スペースに車を駐車し直すのかが不思議でしたが、
おそらく、僕の憶測ですが、彼らにとっては、それがアピールなのかな?と思いました。
 
 
以前、有吉さんとマツコさんの番組で、
「川にキャンプに来る人たちのマナーが悪くて、河原を汚して困っている」という視聴者からの相談が寄せられていました。
それを聞いた有吉さんは、
「そういう人は、マナーが悪いんじゃなくて、川を汚したいんだよ。人の迷惑になることをやって、注目されたいんだよ。だから、マナーに気をつけろなんて言ったって無駄だよ。」と答えていました。
なるほど、確かにそうかもな。と思いました。
 
 
中学生や高校生の時、先生に反抗している人たちがいました。
努力してお金をかけて校則に違反し、それを注意する先生に文句を言い、絡んでました。
彼らはそれを、権力との戦いのように言っていましたが、
でも、そういう彼らは、彼らの仲間内での権力構造に異常に弱く、先輩のことを本当に恐れていました。
でも、その分、自分に歯向かえない人には、異常なほどに横柄で暴力的でした。
学校の先生に絡むのも、先生が反撃できないことを知っていたからだと思います。
 
 
こういう人たちは、自信が無くて不安なのかもしれません。
だから、人から怖がられたいのかもしれません。
強い人間だと思われたいのかもしれません。
でも、肉体的に強いところをアピールしたければ、
車いすマークの所に車を止めるよりも、
駐車場の一番遠いところに車を止めて、もも上げで走ってきた方が強そうです。
(逆立ち歩きとかだと、もっと強そうです。)
 
 
彼らは、誰かに、自信をうばわれたのかもしれません。
自信をうばわれた人が、自分より弱い者の自身を奪うことがあります。
それは、どんどん、「刃向かわない人」に濃縮されていきます。
悪循環です。
 
 
人間の自信や可能性を奪う言葉「どーせ無理」は、
世の中にあふれています。
子ども達が、がんばってるとき、努力してるとき、
「どーせがんばったって無駄だよ。」
「どーせ努力したって無駄だよ。」
と言ってしまう大人が、子ども達の自信を奪ってるように感じます。
これが顕著になるのは、
小学校での
「失敗したらどうするの!?」や
「やったことがないんだからやめておきなさい。」や
「なんでこんな事もできないんだ!」だったり、
中学校の進路相談での
「お前の成績じゃあなあ・・・無理だと思うぞ。」や
「現実を見ろ。」だったりするんじゃないかな、と思います。
 
 
できない事を、責めるのではなく、
できないから、やらせないのではなく、
できるように支えることが、経験を積んだ大人の行動のはずです。
 
子ども達に、あきらめ方を教えさえしなければ、
他人の自信を奪い、強がるような人が減るかもしれません。
時間はかかると思うけど、今の子ども達が大人になる頃には、
かならず変化があるはずです。
と、僕は思うから、僕は子ども達に話をします。
今日の子達も、1年生から6年生まで、
がんばって話を聞いてくれました。
彼らを支えさえすれば、きっと、いい世の中になると思います。