植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

「現実を見ろ」という人ほど、「現実」を見ていない。

夢を実現できるのは、「どーせ無理」に負けない強い人。
夢を実現できないのは、「どーせ無理」に負ける人。
 
というのは、「事実」でしょう。
こんなの、誰でもわかってることです。
 
でも、僕は、仮に「どーせ無理」という人がいなかった場合は、
どうなるのだろう?と考えます。
 
だとしたら、すべての人が夢を実現できるって事じゃない?
 
 
では、なぜ、他人の夢を「どーせ無理」で潰す人がいるのか?
 
それは、自分の夢を「どーせ無理」で潰されたからでは?
夢をあきらめさせられた経験があるからでは?
 
 
 
僕の会社には、沢山の人がやってきます。
幼稚園や保育所の子も沢山来ます。
 
彼らは、好奇心の塊です。夢と希望にあふれています。
成りたい自分が沢山あります。
そして、彼らは優しいです。
 
それは、彼らが、保護者の保護下にあり、生きていくためになんの心配も無いからでしょうか?
 
だとしたら、大人も、生きていくための心配が無ければ、子ども達のように好奇心を持ち、夢と希望にあふれた人になれるのかな?
 
じゃあ、なぜ、生きていくことが心配なの?
 
それは、自分の人生の行く先が不安だから?
努力が報われない感じがするから?
自分の人生、しょせんこんなもんだから?
 
その状態って、人生に、夢も希望もない状態じゃない?
 
希望は、希な望みと書きます。
実現困難な望みという意味だと思います。
でも、それを追うことで、能力が向上します。できることが増えます。
だからこそ、希望には意味があるのだと思います。
 
夢や希望とは、目をつぶってほんわか感じるものではないです。
楽して安定してお金が十分にある状態でもないです。
希望とは、将来の自分のあるべき姿の理想像かもしれません。
 
そんな理想は理想だよ。どうせ現実には叶わないよ。
だから、望まない?
 
 
僕は、頻繁に「現実」という言葉を聞かされます。
たいていは、現状の問題点だけに注目し、夢や希望の反対の意味で使われています。
でも、「現実を見ろ」という人に限って、
実は、本当の現実から目を背けています。
 
本当の現実を見つめたら、自分の人生の行く先がどうなるのかを容易に想像できます。
そして、現実には、
なんの努力も工夫もしないで、良くなる未来はないです。
 
だから、本当の現実を見つめたら、良くない未来にならないために、その反対側にある、あるべき未来を思い描き、そこに至るためにはどうしたらいいのかな?と考えるようになります。
 
それって、夢と希望じゃないの?
 
 
残念なことに、努力や工夫をしたがらない人は多いです。
でも、幼児は努力と工夫をしたがります。
では、なぜ、努力や工夫をしたくなくなるのか?
それは、どーせ努力や工夫をしても無駄だよ、と教えられるからでは?
 
 
ごく当たり前の現状の問題点だけを主張し、
それはどーせ改善するのは不可能だからと、
夢や希望を否定する人は、
「どーせ努力しても無駄だよ」と教えられた人たちかもしれません。
 
そして、そういう人たちは、進路指導のさいに、保護者や先生から、「受験」や「就職」という「手段」を「夢」や「目的」だと教えられた人たちです。
時々、保護者や先生の過度の期待に応えられなかったことで苦しむ人たちもいますが、
そういう人たちは、夢や希望を押しつけられたのではなく、
夢や希望を否定されながら、現実を見ろ、と、誤った手段を夢や希望のように与えられてしまった人たちだと思います。
 
そういう人たちは、保護者や先生の期待に応えられなくて苦しむこともあるし、その期待に応えて受験や就職に成功しても、そのあと、「あれ?思ってたのとちがった?こんなはずじゃなかった?」と苦しむケースも少なくないです。
だって、そもそも手段を目的と間違えていて、その先にある夢や希望がないからです。
 
 
時々、僕は、先生や保護者に、
「子ども達に夢や希望を与えてください。」と言われます。
僕は与えないです。
僕は、子ども達の夢や希望を支える大人を増やしたいと思っています。
 
夢や希望は、与えられるものではないです。
夢や希望は、自分の人生の先を見つめたときに見えてくるものかもしれません。
それは、自分で考えるものだと思います。
 
 
 
 
人間は、最初から夢や希望を沢山持っています。
それは、他人から与えられるものではありません。
そして、人間の、夢や希望を潰す人がいます。
そういう人は、夢や希望を否定されたり、潰されたりした人たちです。
そして、夢や希望を潰す行為は、自分より弱い物に対して連鎖し濃縮していきます。
 
この状態を改善するために、僕は
「どーせ無理」という言葉に出会ってしまったら、
「だったらこうしてみたら?」と考えてみよう。
と話しています。
 
子ども達には、伝わっているようです。
なぜなら、子ども達からの感想文には、
「夢や希望をもらいました」なんてのはないからです。
「宇宙飛行士になりたいと思うようになりました」というのもないです。
彼らは「夢をあきらめないでがんばります。」「人の夢を支える人になります。」と書いてあります。
子どもには、僕の思いは伝わるようです。
 
でも、大人の感想文はそうではありません。
「とはいうけどさ」
「現実には・・・」
「きれい事だ」
なんてのが沢山あります。
 
だから僕は、子ども達に話を聞いて欲しいのです。
 
 
あたりまえの問題点だけを掲げて、夢と希望と努力を否定する人たちは少なくないです。
だからこそ、
他の人の夢を支える人が増えたらいいと、心から思います。