どうせ死ぬから努力しない?
人は、必ず死にます。
致死率100%です。
だから、生まれてくることに意味が無い?
そんなことを、僕は何度も何度も考えてきています。
大好きなじいちゃんが亡くなったときも、
大好きな犬が亡くなっときも、
いろんな大切な人の死に出会うたびに、
生きることの意味について考えてきました。
僕は、今も考え続けています。
大事なのは、考えをやめないことのように思います。
何かのせいにしたりして、
自分はどうせ不幸なんだ、と言い切ってしまったら、
そのとたんに、思考しなくてよくなります。
思考の苦しさからは逃れられるかもしれないけど、
脳みその成長は停止し、理解できることが減っていくような気がします。
僕は、なんども、死んだ方が楽かな、と思ったことがあります。
なんでこんなめにあうんだろう。こんなに苦しいなら、
生まれてこなければよかった。と思ったこともあります。
でも、そんなとき、優しかったじいちゃんのぬくもりを思い出します。僕が生まれたことを喜んでくれたじいちゃんを思い出します。
じいちゃんは、とっくに亡くなってるのに、
そのじいちゃんの笑顔とぬくもりの記憶で、
「自分なんて生まれてこなければよかった。」という気持ちが薄らいだような気がします。
でも、つらいことは、もっと沢山ありました。
でも、そんなつらい時には、つらさに負けずにがんばった人たちの姿が、僕に生きる力をくれた気がしました。
伝記の人たちです。
彼らは、夢をかなえることよりも、夢を追うことによる人間の成長や能力の向上の可能性を、身をもって教えてくれました。
僕もまだまだ発展途上です。
それを実感できるのは、1年前、2年前に自分が書いた文章を読んだりしたときです。
自分の考えが変化しています。
以前なら理解できなかったことが理解できていたりします。
そして、昔より、優しくなれている気がします。
つらい目にあうと、心がすさみます。
でも、つらいことに負けないでがんばると、優しくなれる気がします。
それを教えてくれたのは、伝記の人たちです。
数百年前の人たちが、僕を死から救ってくれた気がします。
だからきっと、僕が、負けないでがんばる姿は、
後の世の、誰かの命を救うかもしれません。
その可能性はゼロではないです。
そこに、負けないでがんばる意味があるのかもしれません。
人生は思うようにはならないです。
思うようにならないから、努力なんて無駄さ。とおもわずに、
思うようにならないからこそ、努力が必要だと思います。
そして、そのがんばる姿が、きっとだれかを助けます。
だから、この世に、報われない努力はありません。
努力は必ず報われます。
だから、つらいことに負けないで、がんばろうと思います。