植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

働けど働けど我が暮らし楽にならざり。からの脱却。

保育士さんの低賃金がテレビの話題になっていました。
 
ともすると、「低賃金」は問題となります。
でも、金額の絶対値は本質的な問題じゃ無いです。
重要なのは、収支のバランスです。
 
赤平あたりだと、ハローワークの給与水準を見たら、
一月フルに働いても、13万円、14万円なんてのはざらです。
赤平で、子育てしていなければ、生存は可能な水準かもしれません。
でも、この賃金で東京で暮らしたらそうとうつらいと思います。
なにせ、生活コストがちがいます。
 
保育という仕事は、ニーズがあります。
でも、ニーズがあるのに、低収入というのが問題です。
通常のビジネスなら、ニーズがあって、供給が少なければ、
値段は増えていくものです。
 
となると、ニーズがあっても、それに払えるお金が少ない、という状態だと思います。
というか、もしかしたら、ニーズが強制的な状態かも。
 
フルに働かなければ、生活できない。
でも、フルに働くためには、子どもをだれかに預けないといけない。
という状態だと、ニーズがあっても、払える金額が増えない、という状態になるかも。
 
では、この状態を改善するには、
フルに働かないと生活できない、という収支バランスの改善を試みるべきだと思います。
 
自分の支出を分析して、必要なものに適正な金額を払うようにしていくのが支出改善の重要なポイントです。
必要がない物にお金がかかりすぎていないかな?
特に注意すべきは家賃かな。あとは、過剰な保険も見直せます。
借金の金利も見直せるし。
 
とはいっても、日本は全体的に高コストです。
持ち家も、賃貸も、支払う金額はほぼ一緒です。
そして、人生における高価な買い物である、自動車も、家も、時間経過あたりの価値の低下分がほぼ同じです。
この奇妙な一致は、おそらく、「この程度なら払えるでしょ?」という設定だと僕は憶測します。
おまけに、家も自動車も寿命が短いです。
(自動車に関して言えば、信頼性と寿命はちがいますよ)
それは、そうしないと成り立たない企業があるからです。
その企業で大勢が働いているからです。
 
大企業で働いて、収入が大きくても、
数年したら、「そろそろ結婚しないと・・・」と言われ、
結婚したら「そろそろマイホームを・・」と言われ、
系列の建築メーカーで家を建てることになって・・・
子どもが成長してきたら、みんな進学してるから進学が当たり前で、そのためにお金が・・・
 
目の前で動く金額は大きいけど、手元に残り、自分のために使えるお金はほとんど無い・・・
って、パチンコみたいだなと思います。
目の前で、金属の玉は景気よく流れるけど、
実際に手元に残るのは・・・
パチンコは、遊戯だからいいけど、
生活までそうなったら、ちょっとどうかな・・・
 
この、強制的な消費で成り立つ社会は、
人口が増えている時代は成り立ちます。
でも、人口が減り始めたら、成り立ちません。
この、ビジネスの基本的な常識がひっくり返るような、
人口増加社会から、人口減少社会への転換という
とんでもない大きなパラダイムシフトは、
2004年に、とっくに起きました。
それについて行けない経済システムのゆがみがどんどん拡大しているから、「ニーズがあるのに金額が増えない」というおかしな状態を作り出しているのかもしれません。
 
 
もうすでに、それに立ち向かってる会社が沢山あります。
本当に必要とする人に、長持ちするものを提供する努力をしてる企業は増えています。
そういう会社を「よし」とする人が増えないと、そういう会社は成り立たないです。
「値段」ではなく「価値」を認める人が増えたら。
もしかしたら、このゆがんだ経済は改善されるかもしれません。
 
そうじゃないと、この「働けど働けど我が暮らし楽にならざり」な状態は、改善されないような気がします。
(啄木は、生活を改めるべき点が沢山会あったような気がしますけど。)
 
とっくに、時代は大きく変わってるんです。