植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

自分の普通と常識からずれてる人を「おかしい」呼ばわりしないで。

僕は、小学生の頃は、かなり変わっていて、
そのせいもあって、先生にはかなり嫌われた気がします。
 
なんとなくおぼえているのは、
「お前は、おかしい」「お前は、へんだ」という台詞です。
僕の考えることや、行動は、普通じゃ無いから、ダメなのかな、と思っていました。
 
で、月日は流れて、現在。
僕は、きっと、いまも変です。
というか、普通では無いと思います。
いまだに、漢字の読みはかなりいけるけど、書きはぜんぜんだめです。書き順もめちゃくちゃです。
数字はやたらとおぼえるけど、人の名前はおぼえません。
ほかの人より、集中力はあると思うけど、そのぶん、他の事には気が回らなくなったりします。
「たいくつ」がとても苦手で、隙あらば、いなくなります。どこか探検してるか、外であれば、石をはぐって、虫を探したりしてます。(よく、講演会場でも探検していて、主催者を心配させます。)
パーソナルエリアが異常に広くて、一人ぼっちが好きです。
本当は、人と話すのが苦手です。講演なんてしたくないです。
(中村文昭さんには、「植松さん。本当はしゃべりたくないでしょ?」と見抜かれました。)
きわめつけは、いまでも、なくし物が得意です。
「大事なものだから、なくさないように片付けたら、わからなくなりました。」という台詞を、子どもの頃から、なんどしゃべってきたかわからないほどです。
(いまは、整理整頓が上手になりましたが、本当に無くしてはいけないものは、ほかの人に預けるようになりました。)
 
おそらく、子どもの頃と、その特性は変わっていません。
幸いにして、「お前はおかしい!だめだ!」と、面と向かって言う人がいないだけです。
 
でもね、僕は、この「ちょっと変な特性」のおかげで、ほかの人よりできてることがあることを理解しています。
(もちろん、ほかの人ができることで、僕ができない事も沢山あります。)
 
学校で、ある先生に、「変だ」「おかしい」と言われていても、
社会に出たら、それは立派な個性だったりします。
そして、社会は、お年寄りから赤ちゃんまで、能力に差のある人たちで構成されていますから、「この基準から外れたらダメ人間」なんていう閾値は存在しないです。
そもそも、学校とは、様々な能力や発達段階の子達に、社会人として活躍できる能力を与える場所のはずです。
大量生産における規格外を除去するような行為を、子どもに対してしてはいけないです。
「お前は普通じゃない!」のであれば、そんな子に、どんな指導が必要なのかを考えるべきです。そして、自分の手に余るようなら、詳しい人にアドバイスをもらうべきです。
自分の「普通」「常識」に適合しない人間を、「おかしい」「ダメ人間」扱いしないで欲しいです。
 
最近、学習塾では、「マンツーマンの個別指導」を売り物にしてるところが増えています。
おまけに、受験対策型の詰め込み方式では無い、個々人のやる気を引き出す塾も増えています。
フリースクールも認められるようになってきました。
 
軍隊でも、命令にただ従うだけの兵士ではなく、自分で判断できる特殊部隊が重視されるようになりました。
(生存率が全然違うとか・・・)
 
このままだと、40人まとめて一律管理する方式の学校の、存在理由がどんどん微妙になっていくような気がします。
 
もちろん、学校の先生の中にも、急変する社会に適応した教育に努力してらっしゃる方もたくさんいます。
そういう先生は、とにかく、いろんな人に関わり、情報を集めています。いろんな講演会にも積極的に参加しています。
プラン・ドゥ・チェック・アクションが大事ですが、
社会の情報を集めずして、よりよい教育ができるわけ無いです。
でも、がんばる先生が、まわりの先生に、とやかく言われてるケースが多いことも知っています。
 
だから、がんばる先生を、支える人が必要です。
みのまわりに、がんばる先生がいたら、「がんばってるなあ」と、心で思うだけでは無く、ほんの少しでも、物理的に応援してあげて欲しいです。
 
そして、学校で「ダメだ」と言われても、ダメとはかぎりません。
むしろ、ダメだと言われて、ダメかと思い込んだら、ダメになります。
この世に、ダメな人間はいません。
どうやったら、人の役にたてるかな?と考えたら、
社会で人の役に立てる人になります。
 
今年は、植松電機は、ロケットエンジン試験設備を新規に拡張し、子ども達の体験学習とぶつからないようにしました。
また、「ながすぎる」と不評だった体験学習も、少し短くしました。
これで、関われる子ども達の数が増えるはずです。
すこしでも、子ども達の、自信や自己肯定感が増えるように助けられたらいいなと思っています。