植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

知識はなんのためのものか。

「ものしり」という言葉がありました。
いろんなことを知ってる人のことを示して使われていたと思います。
最近、あんまり聞かなくなった言葉かも。
 
「ものしり」という言葉が聞かれなくなったのは、
最近の高度情報化社会によって、様々な情報が容易に手にはるからかもしれません。
大概のことは、ネットで検索したら、即座に知ることができます。
だから、もしかしたら、もう全員が「ものしり」なのかもしれません。
 
でも、いかに素晴らしい知識があったとしても、
それを使うこと無く、なにも残さなければ、無と同じだと思います。
ましてや、他人の知識をコピーしただけで、それから先に、なんの変化も行動も無いなんてのは、自分が書類の束になったのと同じです。
ましてや、その知識をもって、自分より知識の足りない(と思われる)人間を、見下す評論をしたり、批判したりするだけでは、社会に害悪を及ぼしかねません。
(ましてや、その批判の基になる情報が、間違った情報を鵜呑みにしていたりだと、恥の上塗りです。)
 
素晴らしい映画や音楽や芸術の知識を持っていても、
宇宙の真理を知っていても、
それを誰に伝えることも無く、何かを生み出すことも無く、では、
その知識の価値は、その人一代限りで消えてしまいます。
 
僕は、知ったことや、わかったことや、経験したことを、
なるべく記録に残し、伝えたいと思っています。
なぜなら、僕も、そうしてくれた人たちに救われたからです。
過去に努力した人たちの、経験と、あきらめない姿が、僕に力をくれました。
だから、せめてもの恩返しは、自分もそういうことをすることかもしれない、と思っています。
 
人間は、文字を発明して、記録を残せるようになりました。
しかし、文字は人間の心を伝えるには、不十分です。
「不十分だから、使わない」ではなく、
「不十分だから、どうやったら伝わるかを考える」ことが大事だと思います。
たとえば、自分の人生や考えを、漢字一文字で表しなさい、と言われたら、困ってしまいます。
だからこそ、文章があるのだと思います。
ということで、僕のfacebookは、やたらに長いのかも。
 
知識を、雑学で終わらしてしまうのか、
それとも、知識を活かして、何かを生み出していくのか。
その違いは、自分自身の行動だと思います。
僕は、「よりよく」を目指して、知識を駆使していきたいと思います。
そして、その過程で得られた自分自身の経験を、記録に残し、人に伝えていきたいと思います。
それが、僕を助けてくれた人たちへの、恩返しだと思っています。
その積み重ねが、人類の進化だと思っています。
 
知識は、ひけらかすためのものではなく、
人類の社会をよりよくするために、人類が命をかけて積み重ねた情報だと思います。