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植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

思考と知識を混同しない方がいい。

この世には、全く同じ人間はいません。
だから、みんなちがいます。そりゃそうだ。
 
ということは、みんな、考えることもちがうと思います。
 
だから、自分の考えと、他人の考えが「ちがう」というのは、
ごく当たり前のことです。
 
でもそれが、「あんたの考えはおかしい、間違っている」にはならないはずです。
 
もちろん、明確に答えがあるような、年号や、固有名詞などの記憶など、「知識」に関しては、事実と同じなら正しいし、事実と違えば間違っている、というのはあります。(正し、「事実」が事実かどうか不明な場合もありますから、要注意です。)
 
自分の考えとちがう他人の考えを「間違ってる」と思ってしまう人は、
もしかしたら、思考と知識を混同して考えているのかもしれません。
それは、おそらく、暗記型の知識偏重型の教育の弊害かもしれません。
 
学校では、自分の意見や考えが、正しいか、間違ってるか、とジャッジされてしまうことが少なくないです。
質問がある人、と言われて、手を挙げて質問したら、「その質問はくだらない」とか「関係ない質問するな」とか、質問という自分の思考が否定されることも少なくないです。
そのような経験をしてきた人は、他人の思考に関しても「正しい」か「間違ってる」かを、自分でジャッジしてしまうのかもしれません。
 
もしも、誰かの意見を目にしたときには、
それが自分の考えとちがっていたとしても、それは「間違い」や「おかしい」ではありません。ちがうのは当たり前なんです。
だから、「なるほどね。たしかに、そういう考え方もあるよね。」でしかないはずです。
 
生物は、生き延びるために多様化しました。
男女が交配して、遺伝子をわざわざはんぶんこにして子孫を残すのは、
自分とちがう人を作るためです。
 
自分とちがうものを否定していたら、
最後には、世界が自分だけで埋め尽くされます。
それは、種としてはとてつもなく弱い状態です。
一つの要因で滅びる可能性があります。
 
だから、自分とちがうものを、否定したり、排他したりすることは、
自然の摂理に反することかもしれません。
 
かつて、国民皆兵を目指した明治の時代。
徴兵制にともない、普通の市民をいかに短時間で有効な兵士にするかと言う教育システムが重要になりました。
そのときに、素直で、まじめで、命令に従順な人を育成する仕組みができました。
そして、人間が、甲乙丙丁とランク分けされるようになりました。
そして、「軍隊が求める標準」に満たない人たちは、卑下されるようになりました。
 
それは、第二次世界大戦後の、戦後復興と、生活水準向上に伴う大量生産という仕事がが急激に増えた時代の労働力を増やす教育としても、有効に通用しました。
 
でも、これからはちがいます。
素直で、まじめで、命令に従順なのは、ロボットの仕事になりました。
戦場でさえ、無人兵器が使われるようになったのですから。
ロボットのような人間と、ロボットが、働き過ぎる社会は、
供給過剰にあえいでいます。
 
この状況に抗うためには、人間は、ロボットに負けないようになるべきです。
そのためにも、教育や、人間に対する価値観は、急激な変化を求められているはずです。
 
これからは、自分とちがうものを否定し、排他するのは、旧世代の行動だと思ったらいいかも。
自分とちがうものを、受け容れ理解する人が必要になるはずです。
(「ニュータイプ」って、こんなかんじかもね。)