植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

「人の為」って「偽」だよね?という質問への答え。

人の為、は、「偽」になりますよね?
 
と質問されました。
 
おお。確かに。
 
質問してくれた人は、人の為が「偽になることに、
マイナスのイメージをもっているようでした。
 
「偽」というと、偽ブランド=低品質=騙し・・・
みたいな、マイナスのイメージがあるのは確かです。
でも、たとえば、本当にまったく見分けがつかず、品質も同じ、となるとどういうイメージになるのかな?
 
本来は「偽」は「似せ」です。
たとえば、絵の勉強をするときに、有名な絵画を模写することは、よくやることだとおもいます。その行為自体は悪くないどころか、勉強のためには有効だと思います。
でも、その模写作品を販売すると、問題が生じます。
 
だから、きっと「偽」自体は、本来はマイナスのイメージは無い言葉だと思うので、「人の為」は、マイナスではないと思います。
 
で、「人の為」が「偽」になるのは、
きっと、「人の為」は、本当は「人の為」ではなく「自分の為」だということを理解するためなのかな、と思います。
 
人は、一人でが生きていけません。
その最大の理由は睡眠だと思います。
大きな脳を持ってしまったからこそ、長時間の睡眠が不可欠な人間は、1日のうちのかなりの時間、まったくの無防備になります。
だから、仲間が必要になります。
当然、仲間も寝ます。そのとき、自分も眠いからと、寝てしまったら、二人とも喰われるかもしれません。
だから、仲間のために、眠いけど、寝ない。が必要になりますが、
それは、お互い様です。自分だけが一方的にがまんしてるのではないです。
だから、相手のために、寝ないで守る。は、本当は、自分を守ることになります。
 
「してあげている」と思ったら、
「こんなにしてあげているのに!」になります。
そして、腹が立って、本来の目的を見失います。
 
「愛してるから、愛して欲しい」は、見返りを求める愛です。
見返りが少ないと感じたら、愛がゆがみます。
 
僕は、「愛してるから、愛する」のほうがいいです。
 
「あなたの為にしてあげている」
「市民の為にしてあげている」
「国民の為にしてあげている」
と思い込んでいると、もしかしたら、見返りが足りないと思った瞬間に、恐ろしい事が起きるかもしれません。
そういう意味で「人の為」を、わざわざ「偽」としたのかも。
 
人は、愛する人の笑顔がうれしいからがんばれます。
だったら、愛する人を増やしたら、喜びも増えるね。
そして、愛するってのは、自分の思いです。
「愛して欲しい」ではないのだから、どんどん愛すればいいです。
 
見返りを求めない愛が、人間の行動力の原動力になったら
もうちょっと優しい世の中になるかもなあ、と思います。