植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

なぜ理科を学ぶのか?

なぜ理科を学ぶのでしょうか?
 
という質問をいただきました。
 
うーむ。
 
以前、科学技術振興機構JST)さんの、
理科離れ」に関しての協議会?に参加させていただきました。
 
そのメンバーは、立派な肩書きの方が勢揃いで、中には毛利さんもいました。僕は、場違いな感じでした。
 
会議では、理科離れに関してのいろんな意見が出ていました。
・今の学校の先生は、社会と国語の先生ばかりだ
・先生が理科を嫌っている
というような意見もありました。
ほんとかどうか知らないけど、そう言ってる方々がいました。
でも、ちょっと偏っていて、一方的に、その場にいない、
先生や保護者のせいにするような意見が多めだったので、
僕は、発言しないでいました。
同じく、発言しない人がもう一人。毛利さんでした。
 
僕にとって、毛利さんはあこがれの存在です。
北海道人で、余市町に縁があります。
植松家も、樺太から帰ってきて、最初に暮らしたのが余市町だったそうですから、僕は、勝手に親近感を倍増させていました。
そんな毛利さんと、会議で同席できてるなんて、夢のようです。
でも、僕は、不安でした。
あこがれの存在である毛利さんが、もしも、嫌な人だったらどうしよう・・・って。
 
で、会議も終わりに近づき、議長が、「まだ二人発言されていません。」ということで、まずは、毛利さんにふりました。
 
毛利さんは、落ち着いた声で、
「皆さんは、なぜ理科を学ぶか知っていますか?」と言いました。
会場は静まりかえりました。
毛利さんは、続けます。
「それは、社会や暮らしを良くするためです。子ども達の理科離れが問題だとしたら、そこには、なぜ理科を学ぶのかを教えていないことが、影響している可能性があります。理科に限らず、学問は、社会や人の暮らしをよくするためにあります。そしてそれは、仕事にもなります。それを実証しているのが、植松さんです。」
 
僕は、さすが毛利さん!と感動しながら話を聞いていましたが、
最後に、いきなり振られたので、本当に驚いてしまいました。
そして、感動しました。
僕らがやってることを、知ってくれていたんだ、と思ったら、涙が出そうになりました。
 
植松電機は、小学校五年生の理科の時間に習う「電磁石」を仕事にしています。小学校で習う理科で会社を興し、僕らの電磁石を使ってくださる人たちの仕事の役に立ち、そこで生まれたお金で、宇宙開発もできています。
それを、毛利さんは、知ってくれていました。
 
僕は、理科に限らず、学問とは、
いい学校や、いい会社に入るためのものではありません。
社会の問題を解決するために、人類が命をかけて積み重ねてきたものだと思っています。
理科を学ぶのは、社会の問題を解決する力を身につけるためだと思います。
国語も、算数も、社会も、なにもかも、同じだと思います。
 
実際の所、単教科で成立する仕事は、ほとんどないです。
なんでもできなければいけないです。
だのに、「お前は英語が得意だから、英語を活かせ。」とか、「お前は、数学が得意だから、数学を活かせ。」という指導をしてしまう大人が少なくないです。
同じように、「お前は英語が苦手だから、英語が受験科目にない学校を選べ。」というような進路指導も行われます。でも、社会に出たら、「苦手だからできません」が通用しないこともあることを忘れない方がいいです。
 
実際には、その分野の研究者などになるならともかく、
一般的な仕事では、かなり広い範囲の知識が必要です。
たとえば、英語が得意で、通訳になりたい、と思っても、
通訳すべき分野の知識が十分に無ければ、通訳できません。
政治なのか、ビジネスなのか、サイエンスなのか、医療なのか、様々な、専門用語と専門知識がなければ、ごく一般的な通訳しかできないです。そして、その世界は、競争相手がものすごく多いです。
 
最近、ようやく、クロスカリキュラム、という言葉が教育現場で使われるようになってきました。
いくつもの教科を混ぜた教育です。
僕は、それはいいことだと思います。
 
僕は、中学の頃、英語が本当に苦手でした。
でも、自分の好きな分野なら英語も学べるかも・・・と思って、
洋書コーナーで、ミサイルに関する洋書を見つけてきます。
それを辞書と首っ引きでひたすら読みます。
しかし、そこでおぼえた英単語は、一つもテストにでません。
だから、中学も高校も、英語の成績は悪いままです。
お前がやってる勉強方法は無駄だからやめろ!と言われました。
でも、大学に入ったら、やっとこ、自分が学んだ単語がどんどん授業の教科書に出てくるようなりました。ぜんぜん無駄じゃ無かったです。
 
理科離れに限らず、学問離れを防ぐためには、
学問を学ぶことの目的を伝えることが不可欠だと思います。
そしてそれを、教える人が体現することが不可欠だと思います。
理科を学んでおくと、こんなに人生に役に立ったよ、とかいう自分の実例を示して話すことも、とても有効だと思います。
 
小学校に入学したとき。
沢山の教科書やノートを前にして、学校の勉強が楽しみでしょうがない時期が必ずあります。
しかし、まもなく、「わからない」と怒られ、点数が低いと怒られるようになり、やがて、勉強が嫌いになるのかもしれません。
すくなくとも、僕はそうだった気がします。
 
僕は、大学に行ってから、
学問は社会の問題を解決するために、人類が命をかけて積み重ねてきたもの、ということに気がつきました。
残念ながら、小学校、中学校、高校では、そんなことよりも、「おぼえろ」「暗記しろ」だけでした。
「なぜ勉強しなければいけないの?」という質問には、
「余計なこと考えてないで、言われたとおりにやっとけばいいんだ!」という言葉ばかりが帰ってきました。
でも僕は、幸いにして、学校の勉強は嫌いだったけど、自分で学ぶのは好きでした。だから、僕は、大学でいろんなことに気がつけたのだと思います。
そして今僕は、学問が、社会の問題を解決できることを、本当に知っています。
だから僕は、科学の発達を、マイナスのイメージで考えないのだと思います。
 
社会には、悲しみと、苦しみと、不便さがあふれています。
それを解決するための努力の蓄積が、学問だと思います。