植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

しらない、わからない、できない、はダメではない。

知らない
わからない
できない
 
を、ダメと思い込まされている人はたくさんいます。
 
そういう人は、
知らないことや、
わからないことや、
できないことと出会ったときに、
自分はダメだ・・・と思って、自分を責めてしまいます。
 
そして、
知ってる範囲や
わかる範囲や
できる範囲で、何かを成そうとします。
でも、そこには、進化も成長もありません。
まったく前に進めないのです。
 
だから、
知らないことや、
わからないことや、
できないことが、
許されると思われる世界で学ぼうとします。
それが、「お金を払って教えてもらう」です。
でも、「お金を払って教えてもらえる」ことも、世界のごく一部です。
だから、社会に出たら、結局、
知らないことや
わからないことや
できないことに、出会ってしまいます。
 
 
そういう人は、社会に出てから、ものすごく苦労します。
社会は、
知らないことと、
わからないことと、
できないことに、
満ちあふれているからです。
 
重要なのは、
知らないことや、
わからないことや、
できないことを、
「お金を払って教えてもらう」以外の方法で乗り越える方法を
知ることです。
 
しかし、それを妨げるのが、
「お前、そんなことも知らないの?」
「お前、そんなこともわからないの?」
「お前、そんなこともできないの?」
「お前、いままでなにやってきたの?」
「お前、つかえねえなあ」
という人達です。
これをやってしまう会社の先輩はたくさんいます。
まあ、会社の場合は、やむを得ない場合もあります。
ビジネスですから、能力を期待されます。
でも、本当のビジネスなら、期待で物事をしてはいけません。
能力は事前に確認をしておくべきです。
 
残念なことに、これをやってしまう先生も少なくないです。
授業についてこれない子を、「ダメな子」としてしまう先生は
ときどきいます。
先生がこれをやってしまうことに、僕は疑問を感じます。
なぜなら、先生は、生徒を成長させる存在であるべきだと思うからです。
「しらない」「わからない」「できない」というのは、
現在のステータスです。
自分の提供した授業の結果です。
もちろん、大多数は、通常の授業で「わかる」のだと思いますが、
「わからない」子もいます。それは、現実です。
その現実がわかったのだから、そこから、どうやれば、
知ることができるのか、わかるのか、できるのか、を
考えるべきだと思います。
でも、実際には、先生は忙しすぎたり、まだ不慣れで余裕が無かったりして、自分の授業についてこれない子を「足手まとい」と感じてしまうことも少なくないです。
そして、それを、直接的に、間接的に、その子に伝えてしまう先生もいます。
「あの子のせいで、授業が進まない。」「あの子のせいで、余計な時間がかかる。」を、他の生徒に感じさせてしまう先生がいます。
そうなると、授業に遅れている子は、とてもつらくなります。
 
また、大勢の前で、できないことを示させられる、というのも
つらいものです。
みんなのまえで、教科書を読みます。読めない漢字があって、止まります。そのときに、それを助け教える雰囲気をつくるか、それとも、
「そんな漢字も読めねえのかよ、ダメだな。」という雰囲気を作るか。
それは、先生がコントロールできることだと思います。
 
小学校では、学校の勉強が苦手でも、鬼ごっこが得意とか、
工作が得意とか、ゲームが得意とか、浮かぶ瀬があります。
でも、中学校に入ると、学校の授業や部活に関係ないことは、
全部「くだらないこと」にされてしまうことがあります。
そうなると、「浮かぶ瀬」が無くなる子が増えます。
本当は、その「浮かぶ瀬」は、社会に沢山あるのですが、
中学校からは、部活が忙しくなり、社会と接することができなくなります。その結果、ますます「浮かぶ瀬」が無くなり、
学校の勉強が苦手とか、運動が苦手、は、ダイレクトに、
「自分なんて・・・ダメだ・・・」につながっていきます。
 
しかし、忘れないで欲しいのは、
「知る」「わかる」「できる」には、段階も基準もない、ということです。
どれだけ知っていれば大丈夫なのか。
どれだけわかれば大丈夫なのか。
どれだけできれば大丈夫なのか。
そんな基準はないのです。
この世には、未知があふれています。
ノーベル賞を取った人だって、知らないことが沢山あります。
それを追求してるからこそ、ノーベル賞でしょう?
 
ということは、
知らない
わからない
できない
は、「ダメ」ではない。ということです。
 
大事なのは、知ってる人が、わかる人が、できる人が、
知らない人を、わからない人を、できない人を、支え伸ばす、
ということだと思います。
 
それができない人達がいます。
それは、知らない、わからない、できない、をダメだと思ってる人達です。
そういう人達は、不安です。自信がありません。
だから、自分以下を作ろうとしてしまいます。
だから、自分より知らない人を見つけたら、うれしくなります。
「お前、そんなことも知らないの?」といじめます。
それが、自分より、立場が弱い人に、連鎖濃縮します。
 
だから、子どもたちを支えるべきだと思います。
しらないから、わからないから、できないから、学ぶのです。
しらなければ、しらべればいい。
わからなければ、かんがえればいい。
できなければ、やってみればいい。
そして、できなかったことができたときの喜びを伝えるのが、
学校や教育の大切な役目のように思います。
 
世界のすべてを知り尽くすのは不可能です。
でも、仕事によっては、知るべき範囲がしぼられます。
その範囲を知るためには、もっともいいのは、
まずは社会に出てみる、じゃないかと思います。
その上で、何を知るべきかを知ってから、
より高度に学びたければ、進学する、のもありだと思います。
でも、たいていの場合は、企業の方が、大学より濃密に学べます。
そうじゃなければ、インターンシップとかやらないでしょ?
 
ただし。要注意です。
企業の中にも、人間の成長と可能性を、まったくあてにしていない企業があるからです。
そういう企業は、人間をどんどん使い捨てにします。
そういう企業を見分けるのは簡単です。
会社内での研修や勉強のシステムがないです。
 
 
知らない
わからない
できない
は、「ダメ」ではありません。
 
しらなければ、しらべればいい。
わからなければ、かんがえればいい。
できなければ、やってみればいい。
です。