植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

いつから「苦手」になったのか?

先日、来てくれた大学生の女の子に、
ロケットを作ってもらいました。
 
その子は「自分は不器用だから・・・」と言います。
だから僕は、「いつから不器用だと思うようになったの?」と
尋ねました。
 
その子は、なにやら考え込んでいる様子です。
僕は、「小学校1年生の時って、自分は不器用だとおもったかい?」と尋ねたら、「思わなかった」と言いました。
 
そして、しばし考えてから「3年生か、4年生の時かな・・・」と言います。
「なんでだと思う?」と尋ねたら、
「評価されるようになってからかも・・・」と言いました。
 
 
僕は、本を読むのが大好きでした。
でも、漢字の読みは100点なのに、書き取りは0点でした。
だから、先生にさんざん怒られて、「お前は国語が苦手だな!」と言われました。
だから僕は、国語が嫌いになりました。授業にも身が入らなくなり、点数がどんどん下がるから、ますます嫌いになりました。
 
僕は、計算するのが好きでした。
でも、電卓を使いこなしたので、筆算ができなくなりました。
だから、先生にさんざん怒られて「お前は算数が苦手だな!」と言われました。
だから僕は、算数が嫌いになりました。
 
英語も、社会も、理科も、本当は好きだったのに、
嫌いになりました。苦手になりました。
遠ざかるようになりました。
だから、学校の成績はどんどん落ちました。
 
でも、僕がラッキーだったのは、
まちがいなく、僕が本を読むのが好きだったからです。
僕は、英語の本も、社会の本も、歴史の本も、宇宙の本も、恐竜の本も、とにかく、沢山の本を読むことはやめませんでした。
 
その結果は・・・・
僕は、中学と高校は、赤点の帝王でしたが、
大学では、試験前勉強の必要がありませんでした。
僕がやっていた「学習」は、中学高校の、受験対策の勉強にはまったく適していませんでしたが、大学の授業には、とてもマッチしていたようです。
 
 
本来は、学校という場所は、勉強や学問を好きにさせる場所であるべきだと思います。
それが、勉強を嫌いや苦手にしてしまう場所になっていることがあります。
それは、とてもまずいことです。
人間の向上心や、自己肯定感を奪っている一因に、
学校の勉強の方法がなっている可能性があります。
 
どうか、学校の成績が悪いくらいで、自分をあきらめないで欲しいです。
大好きなことは、かならず力になります。
だから、大好きなことを、奪われないで欲しいです。
沢山沢山、大好きなことを増やして欲しいです。
誰かの勝手な評価くらいで、自分をあきらめる必要なんてないです。
学校の勉強も成績も、ごく狭い世界でしか通用しません。
大好きなことが、最後に自分を救います。
そして、大好きなことは、沢山ある方がいいです。
大好きなことが、一つだと、簡単に誰かと比べられます。
でも、大好きなことが、あればあるほど、その組み合わせは複雑になり、容易には比べられなくなります。それは立派な個性です。
 
個性があると、「必要だよ」って言われます。
 
一度しか無い、自分の人生です。
他人の評価に惑わされず、大好きなことを増やした方が、
豊かな人生になると思います。