植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

忠臣蔵について思うこと

タミヤの、忠臣蔵のプラモデル。
 
昔、普通に売っていたけど、しばらく見てませんでしたが、
ありがたいことに再販されました。
誰が買うんだ?
俺さ。
 
僕は、忠臣蔵が好きです。
はまったきっかけは、1962年の東宝の映画です。
忠臣蔵 花の巻・雪の巻 という、200分を越える大作。
 
キャストが異常に豪華です。
内容も、ものすごく細かく詳しい。
 
討ち入りのシーンでは、
赤穂浪士が、すぐさま武器庫の弓の弦を切ったり、
チェックした部屋に明かりをつけたり、
火事を出さぬように火鉢などの火を消す係までいました。
 
もちろん、内容も大好き。
フランキー堺さんも、いい味出してます。
 
で、つい先日、古館さんがでてるテレビで、
忠臣蔵のリアルについてやっていました。
従来の忠臣蔵の描き方は正しくない。実際にはこうだった。
という感じの番組になっていましたが、
僕はそれを見て、僕の好きな東宝忠臣蔵が、かなりリアルだった事を知ると同時に、でもだからって、他の忠臣蔵が正しくない、という感じの表現はしなくてもいいんじゃないかなと思いました。
 
だって、どんなノンフィクション映画だって、
「尺」というものがあります。
時間制限があるから、カットされる事実も沢山あります。
簡単にまとめられてしまう部分もあります。
それは、厳密に言えば、事実と違います。
でも、僕はそれは「間違い」ではないと思うし、「正しくない」とも思わないです。
 
たとえば、宇宙やロケット好きな人なら必見の
ライトスタッフという映画があります。
僕も大好きです。
前半の盛り上がりの部分として、主人公の音速突破のシーンがあります。
覚悟を決めた主人公が、困難を乗り越えて、一発で音速突破したかのように描かれています。
でも、知ってる人は知っていますが、音速突破は、
一発勝負で行われていません。何度も少しずつ速度を上げています。
だから、あのシーンは間違ってる、という人がいましたが、
映画の中では、「一発で成功」という言葉は無いです。
だから、あの表現は、間違っていないと僕は思うし、
僕は、今でもあのシーンは大好きです。
 
なんでも完璧に事実通りに、と思ったら、
それは、その人の人生をリアルタイムでやり直さないといけません。
そんなの、「尺」的に無理ですし、そんなの時間がかかりすぎて見てられません。
僕が講演でしゃべってることだって、実際には、かなりはしょられてるし、省略されています。僕は、伝えたいことだけ伝えています。
それは、時間が限られているからです。
大事なのは、何を伝えようとしているのか?と
何を受け取るのか?だと思います。
 
おなじ感じで、人間が言葉でしゃべることも、文章で伝えることも、100%完璧には他人に意志を伝えられません。
読み取り手の読解力や、人生にも影響を受けます。
 
映像表現も、文章も、言葉も、思いを伝えるための手段です。
それは、テストではありません。
だから、単純に事実と照らしてマルバツをつけるのではなく、
何を伝えようとしているのか?を考えるべきだと思います。
 
外国の人が、自己紹介の時に、片言の間違いだらけの日本語でがんばったのを聞いて、
「お前の日本語はめちゃくちゃだよ。文法の使い方も間違ってるよ。」と突き放すのか、
何を言いたいのかを感じて、仲良くなろうとするのか。
 
伝える努力と、理解する努力こそが、人間のつながりに不可欠だと思います。
一方的に、正誤でジャッジするようでは、人と人との関わりは、
成り立たないような気がします。
でも、そういう人は、少なからずいます。
きっと、正誤でジャッジされまくった人なのかも。
 
いずれにせよ、
東宝忠臣蔵 花の巻・雪の巻は、とてもいいので、
年末年始にヒマがあったら、見てみたらいいかも。
なんせ、長いから。
タミヤのプラモもいいよ。
 

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