忠臣蔵について思うこと
昔、普通に売っていたけど、しばらく見てませんでしたが、
ありがたいことに再販されました。
誰が買うんだ?
俺さ。
僕は、忠臣蔵が好きです。
はまったきっかけは、1962年の東宝の映画です。
忠臣蔵 花の巻・雪の巻 という、200分を越える大作。
キャストが異常に豪華です。
内容も、ものすごく細かく詳しい。
討ち入りのシーンでは、
赤穂浪士が、すぐさま武器庫の弓の弦を切ったり、
チェックした部屋に明かりをつけたり、
火事を出さぬように火鉢などの火を消す係までいました。
もちろん、内容も大好き。
フランキー堺さんも、いい味出してます。
で、つい先日、古館さんがでてるテレビで、
忠臣蔵のリアルについてやっていました。
従来の忠臣蔵の描き方は正しくない。実際にはこうだった。
という感じの番組になっていましたが、
だって、どんなノンフィクション映画だって、
「尺」というものがあります。
時間制限があるから、カットされる事実も沢山あります。
簡単にまとめられてしまう部分もあります。
それは、厳密に言えば、事実と違います。
でも、僕はそれは「間違い」ではないと思うし、「正しくない」とも思わないです。
たとえば、宇宙やロケット好きな人なら必見の
ライトスタッフという映画があります。
僕も大好きです。
前半の盛り上がりの部分として、主人公の音速突破のシーンがあります。
覚悟を決めた主人公が、困難を乗り越えて、一発で音速突破したかのように描かれています。
でも、知ってる人は知っていますが、音速突破は、
一発勝負で行われていません。何度も少しずつ速度を上げています。
だから、あのシーンは間違ってる、という人がいましたが、
映画の中では、「一発で成功」という言葉は無いです。
だから、あの表現は、間違っていないと僕は思うし、
僕は、今でもあのシーンは大好きです。
なんでも完璧に事実通りに、と思ったら、
それは、その人の人生をリアルタイムでやり直さないといけません。
そんなの、「尺」的に無理ですし、そんなの時間がかかりすぎて見てられません。
僕が講演でしゃべってることだって、実際には、かなりはしょられてるし、省略されています。僕は、伝えたいことだけ伝えています。
それは、時間が限られているからです。
大事なのは、何を伝えようとしているのか?と
何を受け取るのか?だと思います。
おなじ感じで、人間が言葉でしゃべることも、文章で伝えることも、100%完璧には他人に意志を伝えられません。
読み取り手の読解力や、人生にも影響を受けます。
映像表現も、文章も、言葉も、思いを伝えるための手段です。
それは、テストではありません。
だから、単純に事実と照らしてマルバツをつけるのではなく、
何を伝えようとしているのか?を考えるべきだと思います。
外国の人が、自己紹介の時に、片言の間違いだらけの日本語でがんばったのを聞いて、
「お前の日本語はめちゃくちゃだよ。文法の使い方も間違ってるよ。」と突き放すのか、
何を言いたいのかを感じて、仲良くなろうとするのか。
伝える努力と、理解する努力こそが、人間のつながりに不可欠だと思います。
一方的に、正誤でジャッジするようでは、人と人との関わりは、
成り立たないような気がします。
でも、そういう人は、少なからずいます。
きっと、正誤でジャッジされまくった人なのかも。
いずれにせよ、
年末年始にヒマがあったら、見てみたらいいかも。
なんせ、長いから。
タミヤのプラモもいいよ。