植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

「心配」を「迷惑」と思わせないために。

人に「迷惑」をかけないことと、
人に「心配」をかけないことは、
本当は全然違います。
 
でもときどき、人に「心配」をかけまいとして、がんばる人がいます。
でも、人は、愛する人を心配します。気にかけます。
それを否定したら、人から愛されることを否定することになってしまいます。
 
おそらく、人に「心配」をかけることが「迷惑」なことだと思い込まされるのは、親や先生の心配の仕方が間違っているからでしょう。
 
心配のあまり怒ってしまったり、
「あんまり心配させないでよ!」と言ってしまったりすると、
「心配させてはいけないのだ」と思い込むかも。
 
また、親や先生が、心配の元である問題を、まったく解決できなくて悩む姿を見せるのも良くないです。
 
そうなったら、まず最初に、相談相手から外されます。
そして、自分の知らない間に、子どもはどんどんつらくなっていきます。でも、その人の前では、つらい顔を見せないでしょう。
 
どうか、子ども達が、安心して心配をかけられるような親や先生でいて欲しいです。
 
子どもがなにか失敗をしてしまったときには、
「あんた!なにやってんのさ!余計なことするからそうなるでしょ!言われたとおりにしなさいよ!」と怒鳴るのではなく、
 
(1)安否確認(問題があったらすぐにケア)
(2)原因分析(なんでこうなったか、一緒にかんがえよう。)
(3)原状復帰(まずは、目の前の問題を解決)
(4)再発防止
(5)誰かが同じ目にあったら助けてあげよう。という認識。
  (失敗のおかげで、失敗を乗り越える力を身につけたんだよ。)
 
が大事だと思います。
 
というか、これは、事故対策や事故分析と同じです。
同時に、特許の考え方にもよく似ています。
これは、問題を解決するために必要なことです。
これが出来ていない人は、きっと身の回りの問題を解決できていないから、いろんなストレスがあると思います。
その結果、不寛容になっているかもしれません。
 
だからこそ、まずは、他人の問題を怒ってる場合ではなく、
自分の身に生じている問題を、無視したり、あきらめたりしないで、解決していくことが大事だと思います。