植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

非リアルなアニメや漫画のおかげで、リアルでがんばれてる僕。

僕は、小学生の時に、宇宙戦艦ヤマトのテレビ放送に出会いました。
第1話から、テレビに釘付けになりました。
 
戦場は冥王星のそばだそうです。
得体の知れない緑色の宇宙船に、黄色と赤と白の地球の宇宙船は、まったく歯が立ちません。
こちらが撃つ弾は跳ね返され、相手の弾は、こちらの船を簡単に突き抜けていきます。
 
どんどん味方がやられる中で、小さな船が勇敢に敵の船を追い回します。
おもわず、「がんばれ!」と思います。
 
やがて、味方の損害がひどく、撤退の判断がなされます。
しかし、あの頑張っていた小さな船は、撤退しようとしません。
「男なら、戦って、戦って、一つでも多くの敵をやっつけて、死んでいくものじゃないですか!」
この言い分もわかります。
それまで見ていたテレビのヒーロー達は、みんな、似たようなことを言っていました。
でも、地球艦隊の司令官の沖田艦長は「男なら、明日のために、今日の屈辱に耐えるのだ!」と言います。
それは、僕にとって、衝撃でした。
 
宇宙戦艦ヤマトの、第1話の、30分のなかの前半部分だけで、僕の人生が受けた影響は計り知れないです。
ちなみに、このとき僕は、8歳です。8歳の秋でした。
 
僕は、じいちゃんが大好きでした。やさしい、おおきいじいちゃんでした。
ちょっと変わっていたであろう僕を、大切にしてくれました。
じいちゃんは、ちらしや、わら半紙を、丁寧にとっておいてくれました。
「つとむがなにか書くから。」
僕は、じいちゃんに絵を描いてみせるのが好きだったのだと思います。
じいちゃんもそれを好きでいてくれたのだと思います。
でも、大好きなじいちゃんは、僕が小学校に上がる直前の冬に亡くなりました。
突然倒れて、もう二度と会えなくなりました。
 
そして、僕は小学生になりました。
受け持ってくれた女性の先生は、優しそうでした。
でも、全然違いました。
保護者がいなくなったら、とたんに目つきがつり上がりました。
そして、地獄のような3年間が始まりました。
 
僕らは、先生が教室に入ってくるときの表情に怯えました。
不機嫌な表情の時は、震え上がりました。
その先生は、毎日の感情の起伏が激しく、不機嫌なときは、授業せずに、僕らを攻撃しました。
 
僕は、サラダが食べられませんでした。マヨネーズが嫌いでした。
無理矢理食べさせられました。僕は思わず食べていたものを全部戻してしまいました。
そうしたら、その戻したものを食べろと言われました。全部食べるまで残れと言われました。
クラスのみんなが掃除をはじめても、僕だけ机で泣きながら、自分の吐いたものを食べさせられました。
 
この地獄のような日々に、僕には、頼みの綱のじいちゃんがいませんでした。
親に先生の事を言っても、「怒られるお前が悪い」というかんじでした。
大人に相談しても、何も問題は解決しないのだと思いました。
だから、誰にも相談しなくなりました。
 
そんな時に、宇宙戦艦ヤマトに出会いました。
第1話から、おじいちゃんが大活躍でした。
そして、あの一言です。「明日のために、今日の屈辱に耐えるのだ!」
その一言が、今日に至るまで、僕を支え続けました。
どんなに悔しくても、投げ出さないで、いつかかたきをとるのです。なしとげるのです。
 
他にも、漫画やアニメからもらった勇気や思考ははかりしれません。
いまも、僕は多くを学んでいます。
 
でも、僕の大好きな宇宙戦艦ヤマトでも、
「宇宙人なんているわけないし。」
「こんな宇宙船作れるわけないし。」
「ワープなんてありえないし。」
冥王星なんてものすごく遠いから、簡単にいけるわけないし。」
「こんなくだらない作り話なんて見てないで、現実を見ろ!」
と言う人もいます。
 
僕は、いろんなところでお話しをさせていただきますが、
「あなたは特別だからできたんです。」
「現実には、そんなにうまい話はないです。」
「努力をしても不可能なことはあるんです。」
「考える力が大事と言うけど、やっぱり、学歴の方が大事です。」
「そんな夢みたいな事言ってないで、現実を見ろ。」
と、わざわざ御指導してくださる方々がいます。
 
僕は、成績が悪かったです。でも、国立大に合格します。
進学したかったのは、流体力学を学びたかったからです。
国立大を受けた理由は、お金が無かったからです。
滑り止めも受けられない、一発勝負でした。
受かった理由は、半分が運で、半分は努力かなと思います。
僕は、「過去問題100選」という問題集だけに絞って、丸暗記します。
その例題以外がでたら終わりです。でも、少ない僕の能力を一点集中でそこに突っ込みました。
もし僕は、普通に受験勉強をしていたら、間に合わなかったと思います。
 
マグネットが売れるようになったのも、
永田先生に出会えて、ロケット作れるようになったのも、
たまたま、たなぼた的にできたのではないです。
そうなるために努力をしてきた結果です。
僕は、現実を見つめ、自分の能力を冷静に判断します。
その上で、どうやったらできるかを考え、挑みます。
もちろん、一発でうまくいくことなどなかなか無いです。
でも、一回目の失敗で、次にどうすればいいかがわかります。
だから、やり方に修正を加えて、また挑むのです。
凹んでいる時間も、自分を責めてる時間も、他人のせいにしてる時間も、ムダです。
その時間があれば、分析と、リトライに使うべきだと考えました。
それを支えたのが「明日のために、今日の屈辱に耐えるのだ!」です。
僕は、漫画好き、アニメ好きだったから、リアルの世界でがんばれています。
 
ありとあらゆるところに学びは転がっています。
それを、「漫画だからくだらない」「アニメだからくだらない」「作り話だからくだらない」と決めつけてしまうのは、もったいないことだと思います。
僕が知ってる限り、すごく頑張ってる人達は、たいていアニメや漫画好きです。
そして、アニメや漫画から多くを学んで、自分のパワーにしています。
もちろん、そういう人達は、アニメや漫画以外にも、様々な事に、等しく興味を示し、
どんどん吸収していきます。
吸収するから、成長するのだと思います。
 
時々、過度の受験勉強の結果、教科書以外は本にあらず。みたいな感覚の人もいます。
勉強以外で本を読んだことがない。という人たちです。
そういう人は、漫画やアニメなどの趣味は、勉強の妨げになる「くだらないこと」とすり込まれています。
でも、教科書に書かれてる事なんて、世界のほんの一部に過ぎません。
そして、学歴や成績が評価されるのも、世界のほんの一部に過ぎません。
学歴や成績に自己存在を依存すると、世界はとてつもなく狭くなると思います。
 
僕はいま、カレンダーをめくったら、その裏面の真っ白い部分が気になってしょうがないです。
なんとなく、とっておきたくなります。
じいちゃんの言葉が思い出されます。「つとむがなんか書くから」
でも、キリが無いから、ある程度たまったら、覚悟を決めて捨てるけど・・・
じいちゃんは、たしか60代で亡くなったはずです。
僕も、その年齢に近づいています。
じいちゃんみたいになれるかな。
 
と、ここで、ふと。沖田艦長って何歳?と思いました。
調べてみたら、なんと、1974年のテレビ放送時は、52歳だそうです。
まじですか。あと2年。
うわー。沖田艦長みたいにになれるかな。
頑張らなくちゃ。