植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

問題を解決するための仮説と行動は、自由です。

問題は、複雑な原因が絡みあっています。
そういう問題を解決するときには、「仮説」が大事になります。

「これが、このように影響しているのではないか?こうすれば解決できるのではないか?」
という仮説は、いくつも考えることができます。
その仮説の中で、最も効果がありそうなことから試すのがよいと思います。

ところが、ときどき、会議などで発生しがちなのが、
せっかく選んだ仮説を、「そうとはかぎらない」と、ひっくり返す人達です。
いやいや、もちろんそうだよ。だって、問題はいろんな原因が絡みあってんだから。
だから、切り分けて、検証していくんでしょ?
それが、その第一歩の仮説を、そもそも「そうとは限らない」でひっくり返す人達は、
問題を解決したいとか、解決できるとか、思っていない人です。
僕の経験では、そういう人達は、自分の仮説を言いません。
他人の意見に反論するだけです。こういう人達は、自分以下を作りたい人達かもしれません。
こういう人がいたら、会議は空転しかしないです。

僕は、このサイトで、教育について考えることが多いです。
多くの子ども達が、自信と可能性をうばわれて苦しんでいることを知ってるからです。
多くの先生も、「子ども達の自己肯定感が少ない」ことを問題だと感じています。
先生の中には、真剣に仮説を立て、自分なりの行動をしている人がいます。
でも、「自己肯定感が少ないんだよねえ・・・」で、思考が止まってる人もいます。

僕は、子ども達に、自信と可能性をうばわれない方法をしゃべります。それを聞いてくれた子ども達から沢山の感想文が届きます。
それらの感想文を元に、いろいろ考えた結果、人の自信と可能性がうばわれない社会を作るために、最も効果的なのが、教育の分野だと考えるようになりました。
僕は、自分の仮説に基づいて、自分の人生とお金を、問題解決のために使います。
それは、僕の自由です。

僕らがすべきことは、「仮説が正しいかどうかを議論する」ことではなく、
問題を解決することです。

もちろん、予算やマンパワーが足りないときに、それらを効率的に投じる先を一つに絞るために、仮説の有効性を検証するのはとてもだいじなことです。
でも、仮説は仮説です。そうとは限らないにきまっています。
だから、仮説に対する「そうとは限らない」という考えは、当たり前のことを言ってるだけです。なんの生産性もありません。

いろんな人が、社会の問題を解決するために、仮説を立て、行動しています。
ピエロになって、病気の人を励ましている人もいます。
スーツヒーローになって、子ども達にいじめに負けない心を伝えている人もいます。
みんなが、いろんな方法で、問題を解決しようとがんばっています。
最終目的は、問題の解決です。手法はいろいろです。

仮説を否定してくる、問題を解決できると思わない人間の言葉に負ける必要はありません。