植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

学ぶことの投資価値を考えた方がいい。

学校で学ぶことなんて、社会に出たら、何の役にもたたない。
という人は、少なくないです。
下手したら、学校の先生がこれを言うこともあります。

でもそれは、おそらく、学んだことを活かせない生き方をしてるだけだと思います。

僕は、学校で学んだことや、自分で学んだことで、自分の人生を構成しています。
確かに、中学や高校の、受験対策の暗記型の勉強は、6年間という時間の投資に対して、得られる成果が、すごく少ないと感じます。でも、ムダとは思わないです。

学んだことを活かせないケースとして、
おそらくもっとも強力なのは「思考しない」だと思います。
言われたことを、言われたとおりにやるだけ、という、個人の思考や、情報や経験の蓄積が有効に活かせない仕事の場合は、過去の学びは、ほぼ無価値になる可能性があります。

でも、ラッキーなことに、そういう仕事は、自動化されています。
だから、これからの社会では、学校で学ぶこと価値は高まる可能性があると思います。

僕は、「学ぶ」という行為について、以下のことを意識しています。
(1)投資する時間に見合うか?
(2)投資するお金に見合うか?
(3)その価値の時間あたりの価値低下は大きくないか?

これを考えたら、一番効率が悪いのは、「お金を払って、座学で教えてもらうこと」のような気がします。
効率がいいのは、「自分で経験する」のように思います。

最近の専門学校は、まさにこの「自分で経験する」が増えてる気がします。
また、大学でも、専門学校と同じような「自分で経験する」を提供するところが増えています。
でもそれは、本当は、中学や高校の頃から、やろうと思えば、自分自身でも比較的安価にできることだったりします。

僕は、飛行機やロケットの設計者になりたかったです。
だから、子どもの頃から、自分で勝手に本を読んで、設計のまねごとをしまくります。
その結果、僕の中学と高校の成績はとても悪いです。
でも、結局は、僕が自分でやってきたことが、僕の力になりました。

人生は一度しか無いです。意外と短いです。
だからこそ、人生を有効に使うためにも、
学びに対する時間と費用の投資の価値についても、考えた方がいいと思います。
「学校で学ぶことなんて、社会に出たら、何の役にもたたない」なんてのは、
究極に非効率な学びをし、無思考な仕事をしてしまっている結果かもしれません。