植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

自由な思考のために

昨日来てくれた小学校は、ちょっと変わっていました。
 
とにかく先生が、子ども達に考えさせる努力をしています。
 
たとえば、お昼休みの時間に、何するのかな?と問いかけたり。
 
子ども達は、ちょっと戸惑っています。
その戸惑いは、とてもよくわかります。
子ども達は、「間違った答えを言わないように」心配をしているのです。
 
本当は、お昼休みに何をするの?と尋ねられたら、
まずは、自分のしたいことを言ってみるといいと思います。
僕だったら、「ご飯食べる」と言います。
同時に、ご飯食べるためには、机の上を奇麗にしないと・・・とか、
手を洗わないと・・・とか、お弁当を受け取るためには、どうしたらいいかな?
お弁当をみんなが取りに行ったら混雑しそうだな・・・
お弁当を落とさないように持って帰ってくるにはどうしたらいいかな・・・
が、怒濤のようにあふれてくると思います。
 
だから、最後のあいさつで、子ども達にちょっとだけアドバイスしました。
「大事なことは、間違わない、ことじゃなくて、自分がどうしたいか、だよ。」
 
「考える」ことの重要さに気がついている先生のもとで、
この子達は、きっと、新しい時代に対応出来る、
思考できる人になるんだろうな、と思いました。
 
僕は、いろんな学校に行きます。お話しの後で質疑応答の時間もあります。
多くの子どもが「変な質問なんですけど」「くだらない質問ですけど」と言い訳してから
質問をしてくれます。
僕は、都度「変な質問はないよ」「くだらない質問はないよ」と伝えます。
僕は、質問をされたら、必死で考えます。
だって、たいていの質問が、僕の想像の中にないからです。
でも、多くの大人は、自分が準備していない質問をされたら、困るようです。
その「困った」状態の原因が、「わからない」だと認識します。
そして、「大人なのに、わからないのは恥ずかしい」という思考をして、
そういう質問を「くだらない」「いまするべきじゃない」「へんだ」と
切り捨ててしまうのかもしれません。
 
「わからない」を恐れるあまりに、「わからないこと」を「くだらない」「間違っている」と切り捨てると、人間は思考できなくなるかもしれません。
そして、切り捨てられた人も、自動的に「わからない」を恐れるようになります。
やがて、世の中は、「未知」をおそれ、バカにするようになるのかも。
「ちがう」を「おかしい」「へんだ」と差別するようになるのかも。
 
だから、子ども達の質問や、思考を、ジャッジしないでほしいと思います。
子ども達の、自由な思考を支えて伸ばしてあげてほしいと思います。