植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

「何でこんなこともできないんだ!」に負けないで。

「なんでこんなこともできないんだ!」
と怒られたことは沢山あります。
 
この言葉を使われると、普通の人ができることができない自分が、本当に情けなくて、悲しくて、申し訳なくて、居場所がなくなりました。
 
本当に、「なんでこんなこともできないんだろう・・・」と思いました。
昔は、そこで終わっていたから、自分を責めるだけでした。
 
でも今は、「なんでできないのかな?」を考えるようになりました。
物事には原因があります。それを考えるようになりました。
このときに重要なのは、「何かのせいにして単純化しない」です。
いちばんしてはならないのは、「自分のせい」です。
できない自分を責めるのは簡単です。でも、責めてもなんにもならないです。
もちろん、「だれかのせい」にも「なにかのせい」にもしない方がいいです。
 
時々、
(1)「なんでこんなこともできないんだ!」
(2)「今までどんな教育を受けてきたんだ!」
(3)「まったく。親の顔が見てみたいわ!」
というケースに出会いますが、これをいう人は、思考能力は皆無と言えます。
だって、できない理由を、今まで受けてきた教育のせいや、親のせいにしていますね?
しかも、その先の問題追及をしていませんね。
これは、指導でもなんでもありません。
相手の今までの努力や経験や、親への思いをつぶす、精神攻撃にほかなりません。
 
もちろん、本当に、今まで受けてきた教育が原因の場合があります。親の育て方が原因の場合もあります。
たとえば、強度に高圧的で支配的な教育を受けてきた人は、命令には服従できるけど、思考できなくなっています。
また、強度に過干渉な親に育てられた人は、極度に失敗を恐れます。思考できず、うまくいかないと投げ出したり、自分を責めたりしてしまいます。
このいずれも、大人になって仕事をする上で、かなり問題になることが多いです。
でもそこで、過去の教育を責めても、親を責めても、なんにもなりませんね。
大事なのは、「これからどうしようか?」です。
 
「なんでこんなこともできないんだ!」は、指導者が口にしてはならない言葉です。
もちろん、「なんでこんなこともできないの?」と思うことは自由です。
でもその上で、「じゃあ、こうしてみたらできるかな?」と考え、試すべきです。
いままでの自分の教え方が通じないなら、教え方を変えてみたり、工夫したりすればいいと思います。
 
過去は、変えられません。
でも、未来は変えられます。
これからどうするかを、考えて試していきましょう。