植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

あいまいな心の重要性

講演後の学生さんからの質問で
「夢をつぶさない方がいい、と言いますが、もしも、人を殺すのが夢だ、という人がいた場合、その夢もつぶさない方がいいのですか?」というのがありました。

頭の隅っこで、「このパターン、前にもあったなあ・・・」と思いつつも、ちょっと想定していなかった質問だったので、
さすがに戸惑ってしまいました。

たしかに、夢はつぶさない方がいい。
でも、その夢が、他人の自信や可能性を奪う場合は、
それは僕の夢とは相反する。
うーん・・・
人を殺すのは、人の可能性を奪う事になるから、
それは、人類レベルでの損失だから、殺さない方がいい。
人を殺すという夢は、実現したら、人類にとって損失だから、実現しない方がいい・・・

いろいろ考えたけど、どうもうまくまとまらず、
帰ってくる電車の中も考えてました。

で、あのとき僕が答えるべきだったのは、
「君はどう思う?」だったような気がします。

おそらく、この問いは、「人を殺すのが夢だ」という人に出会ったときに、どう行動すべきか?なのかなと
解釈して考えたら、
僕は、人を殺すという夢は、とてもじゃないけど賛同も応援もできない。それは違法だし。
だから、そういう夢をきいたら、
人を殺しちゃいけない、という話をして、それでも、その夢が現実に近づくようなら、警察に相談すると思います。
そもそも僕は正義ではないので、僕がが裁いちゃいけないからね。(僕が私的制裁を加えてはいけない)
これが、僕の思考の結果です。
でもこの答えは、僕の個人的な考えであって、100点ではないと思うし、万人に強制するつもりも無いですし、してもいけないと思う。
だからこそ、質問してくれた子に僕が返すべき言葉は「君はどう思う?」な気がするのです。
彼が、どう考えるのか、ききたかったなあ。

今回の質問してくれた彼が、そうだとは思いませんが、
ときどき、ある考え方に対して、その考え方が成立しない仮定を持ってきて、その仮定が成立しないということは、その考え自体が間違いですよね?
という思考をしてしまう人がいます。
でも、世の中には、正と誤が明確ではない状態があります。
そのあやふやな状態を制御するのが、人間の心だと思います。
だからこそ、裁判にも、「情状酌量の余地」があるのだと思います。
おそらく、その曖昧なあたりが「道徳」というジャンルなのかも。
どんなことも、100%成り立つのか?成り立たないのか?成り立たないなら、それは間違いである、という思考をしてしまうと、心の余地がなくなる気がします。

でも、最近、特に男子にこの思考の人が多く見かけられます。
その原因は、答えが明確なクローズエンド問題ばかりを解かせてきた日本の教育にあるのかなあ・・・と思ったりもしつつ、
次回、似たような質問が来たら「君はどう思う?」と答えよう、と思います。その上で、「あいまい」と「こころ」の話をしようかなと思います。
こう思えたのは、彼の質問のおかげなので、
やっぱり、いろんな質問や感想は大事だなあ、と思いました。