大人の時間。子どもの時間。
今年も、あっという間に終わります。
年をとるほど、時間が過ぎるのは早く感じます。
以前、永田先生とお酒を飲んでいるときに、この話題になりました。
そして、その中間地点が、13歳だ。昔の元服の年齢だ。
と言いました。
2人して、おお!すごい!と感動しました。
で、僕は、なんぼなんでも、年齢分の1は短すぎやしないだろうか、ルート年齢分の1にしてみたら?と提案。
永田先生は、またしても素早く計算。
その折り返し地点は、20歳でした。成人の年齢じゃん。
またしても2人で、おお!すごい!と感動です。
いずれにせよ、年長者の1年は、若い人の1年より遥かに短い感じがすることには、多くの人が異論を感じないと思います。
ということは、子ども達が苦しい目にあったとしたら、
その時間は、大人の数倍長い可能性がある、ということです。
「もうすぐ卒業なんだから、がまんしなさい!」
大人にとっては、たかが数ヶ月のことが、
子どもにとっては、数倍長いとしたら・・・
1年間いじめられるのが、実は、大人にとっては、倍以上も長い時間なのだとしたら・・・
忙しさにかまけて、うっかりすごした一ヶ月は、子どもにとっては、3ヶ月かもしれません。
そう考えたら、いじめの対策は、もっともっと迅速化しないといけないのではないかなと思います。
子どもの視線で・・・なんていう言葉もありますが、
僕は、時間も、子どもの立場で考えた方がいいと思っています。
時々、懇親会の会場に子どもたちが来ることがあります。
僕は、大人そっちのけで子どもと関わります。
それについて、後から文句を言われたことがあります。
でも僕はあらためないです。
大人を待たせる1分と、子どもを待たせる1分は、ちがうと思っているからです。