植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

人生の選択肢を広げるのは「学歴」ではなく「挑戦」だと思う。

自分の能力に安全率をかけて未来を選ぶと、自分の未来は縮小します。
 
たとえば、100の能力があったとします。
それをフルに使わないといけないことは、失敗するかも知れないから、確実に成功が見込める80の力でできることをやったとします。
そうしたら、自分の現在の能力の80%のことしかできないということです。
 
それを繰り返したら、どんどん未来が縮小します。
人生の選択肢が減っていきます。
 
時々、進学すると人生の選択肢が広がる、という人がいます。
それは、自分の能力以上に挑戦をした場合は、そうでしょう。
でも、間違いなく合格できる範囲だけで、未来を選ぶと、
おそらく、人生の選択肢は縮小しかしないです。
 
もちろん、100の能力に対して、200に挑むのは大変です。
いきなり挑んだらうまくいかないでしょう。
でも、うまくいかないからこそ、何が良くなかったのかがわかります。そうしたら、改善できます。きっと能力が、105くらいになると思います。それが成長です。
 
でも、中学受験や、高校受験で、浪人って見たことないです。
ってことは、ほとんどの人が、「失敗が許されない挑戦」を強いられているということかもしれません。
そこから、縮小未来がスタートしてる人は少なくないようです。
 
日本の人口が減っています。
この状態で日本の経済力を増やすためには、個々人の能力増強以外に手がありません。
だからこそ、これからの日本では、「失敗が成長になる挑戦」が、教育で必須になると思います。
(いや、いつの時代もそうなんだけどね。)
 
僕は、学生の頃から、「なぜ教育に格差があるのかな?」と思っていました。
だって、本当なら、教員免許制度がある段階で、すべての学校では同じ教育が提供されるべきです。どの学校に行っても、同じ未来が得られるはずです。でも、そうなっていませんでした。
でも、実際の所、全部の学校で同じ教育を提供したら、みんな同じになるかったら、そんなことないですね。
実際に重要なのは、教育を提供する側の格差ではなく、学習する側の能力の格差と特性をいかに活かすか、だと思います。
そこには、まず第一に、早生まれ、遅生まれ、という1年の差が明確にあります。それ以外にも、個々人の差があります。
 
だったら、一番いいのは、「年齢で学習内容を決める」ではないことだと思います。
さらに言えば、届かなかったらリトライができることだと思います。
でも今の日本の義務教育システムは、それの正反対に見えます。
全員が同時に同じゴールを切るために、ゴール自体の設定が低くなっているケースも多くあると思います。
 
これだけ、情報通信が発達しました。
だったら、大勢を集めて一度に教える、という方法以外の方法が生まれてもいい気がします。
 
もう、それを研究している人も沢山います。
でも、「義務教育」という制度が、それにマイナスに作用していることが多いです。
もうそろそろ、国が提供する義務教育以外の教育でも、社会が求めている資質さえ満たせばOKという基準が必要な気がします。
 
そうそう「社会が求めている資質」です。
それを制定できるのは、社会人です。
「こんな人と一緒に仕事がしたいな」
「こんな人なら信頼できる」
「こんな人なら頼りになる」
という、共に働く仲間に求める資質を、みんなで考えて見たら、
もしかしたら、偏差値や学歴に支配されない、個々人の特性が活かせる教育ができるようになるかもしれない、と僕は思っています。
 
ま、一番大事なのは、保護者が、我が子の価値を、
他者評価で決めないってことかも。
我が子の価値は、自分で考えるべきです。
「この子と一緒に働きたいな!」と思える人にするためには、
どうすればいいのかな?を考えたらいいと思います。