植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

ある条件を満たせない自分はダメである。と思う必要は無い。

僕は、夢がとても大事だと思っています。
夢があると、いろんなことができるようになると思っています。
 
でも、そうすると、
「自分には夢がないから、自分なんてもうだめです。」と言う人がいます。
 
僕は、「夢を持っていないとダメ人間ですよ。」とは言っていないです。
夢があったらいいことがあるよ、と伝えているつもりです。
さらには、夢はどんなのでもいい。何個あってもいい。と伝えているつもりです。
でも、「ある条件を満たしていない自分はダメである」という認識をする人は少なくないようです。
 
「自分なんて・・・」「どうせだめだ・・・」
これを、生まれつき言う人は、いません。
なぜなら、この言葉を知った状態で生まれてくる人はいないからです。
 
ですから、「自分なんて・・・」「どうせダメだ・・・」は、
後天的な教育(学校も家庭も含む)によって教えられるものです。
 
では、なぜ「自分なんて・・・」「どうせダメだ・・・」になるのかというと、それはおそらく
「お前なんて・・・」と「どうせダメだ・・・」が影響している気がします。
それはすなわち、「比較」です。
 
成績が悪い。点数が低い。足が遅い。体重が重い・・・
比べると、優劣ができます。
標準から上だと、優れている。
標準以下だと、劣っている。
僕らは、そう教えられてしまいます。
(優良可不可なんていう、字面がまさに!ってのもありますね。甲乙丙丁というのもありました。)
 
おまけに、この比較を「自信」だと思い込ませる教育をしてしまう大人がいます。
比べる自信を追い求めている人がそれをやってしまいます。
でも、比べて手に入るのは、自信ではなく、優越感です。
優越感を得るためには、自分以下が必要です。
それは、さもしいことだと、僕は思います。
 
比べてつけられる優と劣。
それは、本当に「優れる」と「劣る」なのかな?
 
F−1は、すごく速いです。サーキットを走らせたら、すごい性能です。それは、サーキットでの自動車のレースという評価基準では「優」だと思います。
でも、軽自動車よりも人間を乗せられません。荷物も積めません。それらが評価基準になった場合、F−1は「劣」です。
 
油圧ショベルには、いろんな大きさがあります。
では、重量30トンの大型ショベルが優れていて、
重量3トンのミニ油圧ショベルは劣っているでしょうか?
優劣などないです。
それぞれが、要求に合わせて最適な設計をされているだけです。
 
僕は、人間も同じだと思います。
人間は成長します。赤ちゃんからお年寄りまで、様々な成長段階があります。もちろん、性別もあるし、人種の違いもあります。
そのなかで、「この能力が無ければダメ人間」なんていう基準など存在しないし、してはなりません。
すべての人間が、それぞれに適した役割を務めることができる社会が重要です。
 
だから、「自分なんて・・・」と思う必要はないのです。
それぞれが、それぞれを活かせる環境を探すべきです。
 
もしも、自分なんて・・・どうせダメだ・・・と思ってしまったなら、「そんなことない。この世にだめな人はいないんだ」と思ってほしいです。
 
そして、大人におしつけられた、「比べる自信」は、早めに捨てた方がいいです。
本当の自信は、比べなくても成り立ちます。