植松努のブログ(まんまだね)

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空知中央地区会はおもしろい!

昨日は、北海道中小企業家同友会の、空知中央地区会の例会。
 
空知中央地区会では、毎年3月に、1年間の例会のネタを検討しています。
それ以前は、数ヶ月分だけ考えて、それ以後は都度対応だったのだけど、この1年分考える方式によって、準備がしっかりできるようになった感じがします。
 
昔は、毎月の例会のネタを出すのに苦労したけど、
いまは、むしろ減らす方が大変。
その気になったら、毎月二回三回の例会も不可能ではないほどに、様々なアイデアが出てきます。
 
僕らは、例会の内容を「心」「技」「体」の三つに大別しています。この3つがバランスよくなるように配分すると、いい感じです。
 
今年のメインテーマは、「コミュニケーション」
 
で、コミュニケーションって、なんだ?という話になりました。
普通に使ってる言葉だけど、本当に意味がわかって使ってるのかな?
 
辞書によると、通信や交流、感情や思考の伝達、情報の伝達。だそうです。
 
ちなみに、「伝」が成り立つためには、「受」が不可欠です。
 
では、「受」ってなんだろう?
 
新しい情報を受け容れるということは、おそらく、それまでの自分自身の既知の情報や常識の変化を受け容れる、ということと同義な気がします。
 
すなわち、コミュニケーションのためには、
自分自身の変化を受容することが不可欠な気がします。
自分の常識や普通を固持する行為は、コミュニケーションの妨げになる可能性があります。
 
以前読んだ本で、学校が考えるコミュニケーション能力は「伝える」だけど、企業が求めるコミュニケーション能力は「聞く」だ、という表現を見たことを思い出しました。
 
最近の若い人達は、学校でプレゼンの練習をしています。そのおかげで、パワーポイントの使い方が上手だったり、人前で堂々と話すことができたり、さながらジョブズのように身振り手振りも上手に使えたりします。
でも、それは、「伝える」能力です。
僕は同じくらいに「受け容れる」能力も必要だろうと思っていますが、最近の若い人は、失敗を恐れるあまりなのか、自分自身の評価や、普通や常識を守りすぎてる感じがします。
それが、コミュニケーションを阻害してしまっているケースを何度も見てきています。
(もちろん、年配者でも、自分の自信を維持するために、自分が理解できないことを否定し見下し、自分の過去の自慢ばかりする人が少なくないです。そういう人も、まともなコミュニケーションができないです。もちろん、成長もできないです。)
 
ということで、今年の空知中央地区会は、
コミュニケーション能力向上の為に、自分自身の変化を受け容れることの大切さ、を重点的に掘り下げていくことになりました。
 
それにしても、空知中央地区会は、カヌーに乗ったり、盆栽作ったり、座禅したり、ロケットストーブ作ったり、筆ペン字ならったり、およそ、一般的な企業の経営者の勉強会とはかけ離れたことをしてるように見えますが、実は、これらの「予期せぬ非日常経験」が、思考力を深め、視点を変え、成長につながっているなあ、と、つくづく感じます。
 
僕は、成長は躊躇の向こうにある。と思っています。
これもきっと、自分自身の変化を受け容れる覚悟と同じ意味かも知れないなと思います。
今年も、空知中央地区会は、おもしろいです。