植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

人類の進化をだいなしにしないために。

昨日のNHKスペシャルで、
人類の進化をやっていました。
僕はこういう番組が大好きです。
 
その中で、脳が発達したから、優しさが芽生えた。
という表現がありました。
 
たしかに、
喰っていくためにはしょうがない。
自分1人が生き延びるので精一杯。では、
優しさは生じないです。
自分の為に、他人からうばう、というのもありです。
 
もちろん、その方法は、暴力的とはかぎりません。
嘘をつく、弱いふりをする、価値が無い物を価値があるとでっち上げる、などなど、
いろんな方法でお金や価値を奪う事が可能です。
 
でも、奪うのが成り立つのは、
(1)生み出す方が多い。
(2)奪おうと思う人が少ない。
からです。
みんなが奪う方に回ったら、そのときには、社会は不成立です。
究極の奪うは共食いです。
そして、食べやすいのは、体力的に自分よりも弱い相手です。
でも、赤ちゃんやこどもや女性を狙って共食いしたら、
あっという間に種が断絶します。
 
ちなみに、人間は大脳のおかげで睡眠が必要です。
そのため、1人では生きていけません。
寝ているあいだにやられるかもしれないからです。
だから、人間にとって「社会」は不可欠です。
 
ですから、「奪う」は、あくまでも「寄生」状態でしか成り立たないです。「奪う」は主流になり得ないのです。
「奪う」は、とても視野が狭い、未来予測もできない、自分の目の前のことしか見えていないような人が実行できる、とても未発達な行動だと言えます。
 
でも、いま、そういう人が増えている気がします。
自分の保守保身のことしか考えられない。
自分の行動の結果や、未来のことを予測できない。
物事を関連づけて思考できない。
そういう人は、もしかしたら、容易に「奪う」側に回ってしまうかも知れないです。
そして、そういう「思考能力の乏しい」人を、現在の受験(成績)偏重型教育は作ってしまっているように感じられます。
 
せっかく人類が命をかけて発達させてきた大脳も、不適切な使い方をしたら、だいなしです。
これからの、大学入試改革が、日本人の脳を適切に活用できるような価値観になっていったらいいなあ、と祈ります。
でも、いまだに、受験偏重の価値観の保護者が多いから、
日本の未来は遠いかも・・・
 
人間が人間らしくなるためには、喰っていくためにはしょうがない、という価値観から、遠ざかる努力が必要だと思います。