植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

「愛」というつながり

今日は、今シーズンの見学旅行のスタートでした。
札幌の中学生が来てくださいました。
僕らも、久々なので、緊張して迎えました。

とても朗らかで、積極的な子達です。
どんどん話しかけてくれます。
それを暖かく見守る先生たちが、素敵でした。

でもきっと、先生によっては、そういうのを嫌う人もいるはずです。

以前に、ある学校で講演をした時も、
「子どもたちに「自由」なんてさせたら、収集がつかなくなります。言って聞かない子には、強制も必要です。生徒になめられたら終わりです。」と言ってくれた先生がいました。

でも、僕の目から見て、その先生は、「なめられそう」な先生でした。

なめんなよ!
なめたまねしやがって。

って怒る人は、

「やきを入れてやる!」

になりがちだと思いますが、
なめられる自分のことも、ちょっと考えるべきでは?

僕が中学生くらいの時に、「なめてかかった」先生は、

言ってることと、やってることが違う。
二面性がある。
感情的。(だから、言ってることと、やってることがずれる。)
ヒステリック。
非論理的。
辻褄が合わない。
議論ができない。
論破されそうになったら、暴力や恫喝でおさめちゃう。

という感じです。
というか、僕は今でも、こういう人と関わりたくないです。
止むを得ず関わる時は、距離を置いて、
まさに「なめた」行動をとってるかも・・・

今日の学校の先生は、穏やかです。
怒号も恫喝もありません。
でも、生徒はちゃんと行動します。
もちろん、先生をなめたような行動なんてないです。
そこにあるのは、先生と生徒の「信頼」のように思います。
「信頼」がないと、「なめてかかる」し、「怒号と強制支配」になるのかもしれません。

僕は、自分の会社で働いてくれている仲間とは、
恋愛関係のようなつながり方でいたいと思っています。
なぜなら、僕の大切な、信頼できる存在だからです。
恋愛に、「なめてかかる」も「怒号や強制支配」も、ありえません。
恋愛に必要なのは、尊重です。信頼です。関わり合いです。
僕は、会社の仲間と、恋愛関係のようなつながりかたでいたいと思っています。
だから、「支配や命令」じゃなくて、「提案やお願い」がいいと思っています。
(そうするよう努力していますが、そうなっているかは、僕にはわかりませんが・・・)
そんなんじゃあ、なめられるよ。と言われることもありますが、
僕は、会社の仲間になめられている、と認識していませんから、
いいんじゃない?と思っています。
(相手が、なめた行動をしてるかどうかよりも、自分が「なめられてる」と思うことこそが、その後の行動につながると思います。)

僕は、先生と生徒は「愛」で繋がるべきだろうと思います。
(会社の場合は、必ずしも「愛」だけでは、うまくいかないケースもあるかもしれません。)
でもきっと、自分の子や、自分の大切な存在に対して、怒号や強制支配をしている人は、よその子には、もっと怒号と強制支配をしてしまうでしょうね。

今僕は、中学校で、デートDV防止講座もやっています。
そのタイトルは「愛について」です。
ともすると、自信がなくて不安な人は、
愛情に証拠を求めがちです。
その証拠とは、実は束縛です。
それは、エスカレートすると、強制支配になり、DVやストーカーになってしまうことがあります。
それは、自信がない不安な人がしてしまうことだと思います。

「他の人を尊重しましょう。」と言っている口で、
怒鳴って、強制支配していたら、そりゃ、生徒になめられます。
こいつのいうことは信じられねえ。とおもわれます。
で、ますます、怒鳴って、強制支配って、
これって、とても悲しい悪循環です。

今日の学校には、愛のつながりを感じました。
このよきつながりが、ずーっと続くように祈っています。