植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

中途半端は、なにもしないよりも、なにもできないよりも、ぜんぜんいい!

中途半端。

いろんな大人にずいぶん言われてきました。
いまは言われません。
なんでかな。

「中途半端」は、たいていは、褒め言葉じゃないですね。
それを、
子どもの僕には使うことが出来て、
大人の僕には使わない。
やってることはおなじというか、もっとエスカレートして多岐におよんでいるのに。

もしかして、相手選んでつかってんの?
自分より弱そうな相手を攻撃してるの?

これはきっと、気をつけるべき事です。
相手を問わず、尊重する気持ちがあれば、「中途半端」なんていう言葉を、
否定的な意味で軽々しく相手に言えなくなると思います。

でも、言われちゃった人たちは、
自分に対して「中途半端」という言葉を使うようになります。

でも、本当は、中途半端は、なにもしないよりも、なにも出来ないよりも、ぜんぜんいいです。
わざわざ、自分より優れたものと自分を比較して、自分を「中途半端」だと思う必要はありません。

見た目も、年齢も、成績も、所得も、なにもかも、かならず、自分より「優れてる」と思える人はいます。その人と自分を比べたら、自分は必ず「劣る」から、
自己肯定感なんて無くなってしまいます。
だって、自分が優れてると思うものと比べるんだから、100%負けじゃないですか。
これでは、自己肯定感なんて持てるわけ無いです。
自信がどんどん無くなっていきます。

そして、自信が無い人は、自分より弱い人間の自信を奪うようになります。
それは、連鎖します。
そして、最後には、最も弱くて優しい子ども達が犠牲になります。

子どもの僕に「中途半端」と言えて、今の僕に「中途半端」と言えない人は、
すでに、「自分より弱いものを選んで攻撃している」状態かもしれません。

おまけに、
「おまえは、なにをやっても中途半端だ!」
「そんな中途半端なことでどうする!」という言葉は、
とっても具体性に欠けています。

たとえば、ウサインボルトが中途半端でないならば、
銀メダルは中途半端でしょうか?
そんなことないでしょう?
国体選手だと中途半端?
県大会だと中途半端?
実は、中途半端の基準なんてありません。
だからこそ危険なのです。
攻撃側の判断だけで決められてしまうからです。
それは、「おまえはダメだ!」と、大して変わりの無い言葉です。
そして、
ダメな状態を、なんぼダメだ、と言ったって、そんなのわかりきってます。
現状の報告なんて、一度で十分です。

そうじゃなくて、
そのダメな状態をどうやったら良くなるのかを考えたなら、
「おまえは、なにをやっても中途半端だ!」という言葉を使うことはなくなると思います。

自分の不愉快な気持ちを、単純な言葉で相手にぶつけるのは、
とても幼稚な行為です。
大人なら、ちゃんと言語で状態の改善を話し合うべきです。

中途半端は、なにもしないよりも、なにも出来ないよりも、ぜんぜんいいです。
ちょっとできてるだけましさ。です。
もっとやればいいだけです。
まえよりも、ちょっと出来る事が増えた自分を、
自分でしっかり褒めてあげることも、とても大事です。

うぬぼれるな!
と言われても気にしないで。
自分を愛せなくなった人は、他人も愛せないと思うから。
自分を一番よく知ってるのは自分です。
うぬぼれ上等!です。