植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

教育のPDCAは、サイクルになってないんじゃない?

僕の会社には、保育園幼稚園の子達から、小学生、中学生、高校生、大学生、大人まで来てくれます。
 
それぞれの世代の人達にお話しをし、
一緒にロケットを作り、感想文をもらえます。
 
これは、きっとかなりの情報量だと思います。
その情報量が、僕の思考のもとです。
 
僕らは企業として製品を作ります。
それらが、最終的なユーザーでどのように使われて、
どのように評価されているかは、とても重要な情報です。
だから、僕らは、そういう情報を集めます。
そうしなければ、自分がやった結果が、良かったのか、悪かったのかが、わからないからです。
改善のしようが無いです。
 
僕は、学校で講演をさせていただいた時は、
できる限り、全員の感想文をおくって欲しいとお願いします。
なぜなら、僕のお話で、苦しんだり、傷ついたりしてる人もいるかもしれないからです。
そういう点を改善したいから、全部の感想文が欲しいです。
その結果、僕の講演は、微妙に変化していきます。
今日お話しを聞いてくださった先生は、数年間に僕のお話を聞いてくれていましたが、かなり内容が変わっていたと喜んでくれました。
その変化は、子ども達の感想文という情報のおかげです。
 
僕は、いろんな学校の評議委員もやってきました。
でもそこで質問しても答えてもらえなかったのは、
卒業した生徒がどうしているのかです。
自分たちのした教育の結果が、生徒にどのような影響をあたえたのかを調べる方法がないのだそうです。
個人情報の問題もあるから、確かに難しいと思います。
でも、それでは、PDCAのサイクルがつながらないです。
 
今日のニュースで、「ゆとり」からの脱出が報じられていました。
なんだか、「ゆとり世代」が、失敗だったかのようにも受け取れる表現でした。
でも、もしも国が実施した「ゆとり教育」が、子ども達にとってマイナスの影響をあたえたのだとしたら、そのマイナス分は、国が保障すべき事にならないでしょうか?
僕のまわりにも「ゆとり世代」はいますが、特に問題を感じないです。そして、学力向上の結果が、社会人の資質にプラスに作用しているかどうかもわからないです。
ただ、最近の子ども達は、忙しすぎて、社会と関わる時間をかなり失っています。僕はそれは、のちに大きなマイナスになるかも、と思っています。
 
もちろん、先生の中には、卒業後の子達とも縁が切れない人がいます。そういう先生は、情報を得るから、どんどんやり方を変化させるし、新しいことを取り入れるし、勉強会などにも積極的に参加しています。そういう先生は、いろんな人に出会うから、情報がどんどん増えます。
だから、人間的な魅力があるから生徒に慕われて、結果的に、卒業後の情報も手に入るという、とてもよい循環が起きています。
 
僕は、飲み会などで、「今の先生は世間知らずだ。社会で働いた経験も無いんだから。」と言う人には、
「いやいや、僕らもかなり世間知らずだよ。僕らの業界の事しか知らないじゃん。それが世界のすべてのわけないよ。」と言うようにしています。
むしろ先生は、生徒の保護者と仲良くなれるから、本当は、僕らみたいな民間企業の人間より、遥かに広く深い人脈を得られます。
そういう先生もいます。
でも、そうじゃない先生もいます。
とても狭い世界だけで生きる人は、先生だけじゃ無く、民間企業にもたくさんいます。だから、先生だけが世間知らずなわけでは無いです。
 
時代は変化しています。
時代のニーズが変わるのだから、教育も変化すべきです。
しかもその変化の速度も量も大きくなっています。
そして、変化を知るための努力と、自分の行為の結果や影響を調べる努力が必要です。
 
国が、僕の会社の景気動向だとか、すでに税務署に提出しているデーターをアンケートで調査するよりも、
社会に出た子ども達に、教育がどんな影響をあたえたのかを、
調べた方が、いいような気がします。
そうじゃないと、「ゆとり世代」に、集団訴訟されかねないです。
(ほんとにする人いるかもね。)