植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

根拠のある経験と知識を身につけるためには。

人間は自分の経験と知識に基づいて行動します。
 
その経験と知識は、たいていの場合は、外部からもたらされます。
 
自分で考えて行動し、その結果を、自分で考えて、さらに行動する、という「一人PDCA」が出来ている場合は、根拠のある思考と、根拠のある行動ができます。それは、とても強い力です。
 
でも、「なんだかわからないけど、こういうもんだ」と暗記させられた経験や知識は、いざという時の力にならないことが多いです。
なぜならば、自分で検証出来ていないから、根拠に乏しいからです。
また、こういう根拠の乏しい経験と知識しか持たない人は、
自分を守るために、自分の経験と知識を、
「一般的には」「普通は」「常識的に」「世の中」と表現することが多いです。
(僕は、こういう言葉を自分の意見を正当化するために使う人の意見は、情報的価値がとても低いと判断しています。)
 
思い起こせば、僕を教育してくれた人達の多くが、
根拠に乏しい知識と経験を押しつけてくれた気がします。
そういうのは、ぜんぜん覚えていないし、人生に役にたっていません。
 
でも、数少ない人達が、自分で考えて自分で試したことを、生き様として、僕に見せてくれました。彼らは、教えようとしませんでした。ただ見せてくれただけです。でもそれは、僕の力になりました。
 
よくある話ですが、
食べ物がなくて困っている人に、魚をあげるのか、魚の取り方を教えるのか、というのがあると思います。
僕は、魚の取り方を学べたのだと思います。
(ただし、僕の小学校中学校高校の成績が、とても悪かったのは、そのあたりが原因かもしれません。)
 
僕は、自分の講演で気を付けてることがあります。
(昨日も二つ書きましたが、もう一個追加です。)
それは、「他人の話をフルコピーで引用しない」です。
僕は、自分の経験と、自分の思考を話すようにしています。
 
いま、多くの企業は、思考できる人を求めています。
暗記型の経験と知識では、対応出来ません。
でも、思考力は教育では与えられない気がします。
大事なのは、生き様を見せることかも。
それをするためには、「新卒でいきなり先生」というのは、
ちょっとつらいかもしれません。
大きな神社は20年に一度遷宮をしますが、
ある大きな神社の宮司さんが教えてくれました。
「あれは、40代が働いている間に、60代が20代を育てるためなんですよ。」と。
このシステムも、教育に活かせるかもしれません。
(ただし、年齢だけ60代でも、経験と知識がまったくない人もいますので、要注意です。)