憎まれ役など不要です
僕が嫌なのは、「反面教師」を間違えて考えてる人です。
反面教師、というのは、間違ったことをする人をサンプルとして、
「ああいうことをしちゃいけないね」と学ぶことだと思います。
でも、だからといって、「間違ったことをする教師が必要だ」というわけではないです。
ましてやそれを、「俺は反面教師の役をわざとやってるんだ。おれが憎まれ役になることで、学びになるんだ。」なんて、
真顔で言っちゃあいけません。
「北風と太陽」をよんだことないのか?と思います。
学んでほしいのか?
言うことをきかせたいのか?
育てたいのか?
管理したいのか?
相手ができるようにしたいのか?
命じたことをさせたいのか?
嫌な思いをさせなくとも、教えることはできるはず。
教えるために、苦痛や恐怖が必要、なんてことないです。
と、僕は思います。