植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

名古屋の夜。

現在名古屋。
名古屋の駅のあたりもずいぶん変わったなあ。
そういえば、新しい本屋ができたんだっけ。

泊まったホテルの向かいに、
鶏肉専門の飲食店が・・・
むむむ。ここは行きたいかも。
めったに行きたいお店に出会わないのですが、
骨付き鶏肉。鳥の丸焼き。には反応してしまいます。
おそらく、その原点はトムとジェリー
トムとジェリーに出てくる七面鳥の丸焼きは、本当に美味しそう。

いつかゆっくりいきたいのう・・・。

カシオワールドオープン!

いま、高知空港
 
高知市内には、あちこちに、
「カシオワールドオープン!」とかかれています。
 
そうか、電卓やG-shock時計のテーマパークができるのか・・。高知って、そういう町だったんだ。いいなあ、みてみたいなあ。と感心していましたが、
どうやら、ゴルフの話のようですね。
 
これから、飛行機乗り継いで北海道に帰ります。
高知は、めちゃめちゃ暖かでいい天気でした。
 

うずらのたまご問題。

うちの、うずらの、うずと、ラーは、卵を産むようになりました。
いまで、4個。
 
なんでも、5,6個集まってから暖めるらしいです。
今のところ、ネグレクト。
それでも、保温ヒーター入ってるから、
とりあえず、人力転卵。
 
どっちがメスかさえもわからないけど、
あんなちいさかった彼らが、卵を産むようになったのが、
なんだか衝撃的。
 
で、今日、葛飾の青砥で高山ラーメン食べました。
うずらの卵が入っていた。
ちょっと複雑。
 
で、いま、高知のはりまや橋
マクドナルドしまってる。ショック。
やむを得ず、ファミマの弁当。
その弁当に、うずらの卵入ってる。
ちょっと複雑。
 
うずらを飼ってから、うずらの卵を食べるのが、
ちょっと複雑になってしまった植松でした。

あいまいな心の重要性

講演後の学生さんからの質問で
「夢をつぶさない方がいい、と言いますが、もしも、人を殺すのが夢だ、という人がいた場合、その夢もつぶさない方がいいのですか?」というのがありました。

頭の隅っこで、「このパターン、前にもあったなあ・・・」と思いつつも、ちょっと想定していなかった質問だったので、
さすがに戸惑ってしまいました。

たしかに、夢はつぶさない方がいい。
でも、その夢が、他人の自信や可能性を奪う場合は、
それは僕の夢とは相反する。
うーん・・・
人を殺すのは、人の可能性を奪う事になるから、
それは、人類レベルでの損失だから、殺さない方がいい。
人を殺すという夢は、実現したら、人類にとって損失だから、実現しない方がいい・・・

いろいろ考えたけど、どうもうまくまとまらず、
帰ってくる電車の中も考えてました。

で、あのとき僕が答えるべきだったのは、
「君はどう思う?」だったような気がします。

おそらく、この問いは、「人を殺すのが夢だ」という人に出会ったときに、どう行動すべきか?なのかなと
解釈して考えたら、
僕は、人を殺すという夢は、とてもじゃないけど賛同も応援もできない。それは違法だし。
だから、そういう夢をきいたら、
人を殺しちゃいけない、という話をして、それでも、その夢が現実に近づくようなら、警察に相談すると思います。
そもそも僕は正義ではないので、僕がが裁いちゃいけないからね。(僕が私的制裁を加えてはいけない)
これが、僕の思考の結果です。
でもこの答えは、僕の個人的な考えであって、100点ではないと思うし、万人に強制するつもりも無いですし、してもいけないと思う。
だからこそ、質問してくれた子に僕が返すべき言葉は「君はどう思う?」な気がするのです。
彼が、どう考えるのか、ききたかったなあ。

今回の質問してくれた彼が、そうだとは思いませんが、
ときどき、ある考え方に対して、その考え方が成立しない仮定を持ってきて、その仮定が成立しないということは、その考え自体が間違いですよね?
という思考をしてしまう人がいます。
でも、世の中には、正と誤が明確ではない状態があります。
そのあやふやな状態を制御するのが、人間の心だと思います。
だからこそ、裁判にも、「情状酌量の余地」があるのだと思います。
おそらく、その曖昧なあたりが「道徳」というジャンルなのかも。
どんなことも、100%成り立つのか?成り立たないのか?成り立たないなら、それは間違いである、という思考をしてしまうと、心の余地がなくなる気がします。

でも、最近、特に男子にこの思考の人が多く見かけられます。
その原因は、答えが明確なクローズエンド問題ばかりを解かせてきた日本の教育にあるのかなあ・・・と思ったりもしつつ、
次回、似たような質問が来たら「君はどう思う?」と答えよう、と思います。その上で、「あいまい」と「こころ」の話をしようかなと思います。
こう思えたのは、彼の質問のおかげなので、
やっぱり、いろんな質問や感想は大事だなあ、と思いました。

大トイレの回転率の低下は、ベンチの少なさが原因かも。

僕は、あんまりおなかが丈夫ではありません。
緊張すると、すぐにトイレに行きたくなります。
ちなみに、体はところてんのような構造になっており、たべたら、すぐにださないといけません。
そういう意味では、便秘の苦しみはわかりませんが、
つねにトイレを探しています。
 
で、この数年、大トイレの回転率が、著しく低下してる気がします。
どこに行っても満杯。長蛇の列。
 
なんとなく、スマートフォンの普及と、この回転率の低下が、相関関係にあるような気がします。
 
トイレが満杯だと、自分がピンチな時はいざしらず、小さい子とかがピンチの時は、見ていてかわいそうです。
 
たとえば、
(1)トイレではスマホが使えないように電波妨害する。
(2)トイレに入っている時間が表示される。(トイレ内での事故防止にもなるかも。)
(3)トイレの外に人が待っているのが、トイレの中でわかる。
(2)と(3)に関しては、確信犯には通用しません。(犯罪じゃないけどね。)
 
でもね、おそらく、もっと根本的な問題は、
日本は、公共の場所にベンチなどの座るところが少なすぎるせいで、トイレを休憩場所に使ってしまう人が増えるのではないかと思います。
以前、通風で足を引きずりながら歩いている時、休憩する場所の少なさを、ものすごく痛感しました。
 
もしも、腰掛けるところが増えたら、歩きスマホも減るかもなあ、と思ったりもします。
 
スマホが普及していなかった時代と、スマホが普及した時代は、きっとライフスタイルが変化しています。
その変化に合わせて、社会のインフラも変化すべきかなと思います。(飲食店のコンセント普及率はかなり向上していますね。)
 
いままで、なぜここまで公共の場に座るところがなかったのかを調べてみるのもおもしろいでしょうし、
実際に座る場所を増やしたらどうなるのかも試してみてもいいのではないかと思います。
 
どこに行っても、無料のワイファイがつながる海外と、登録したり課金しないとワイファイが使えない(おまけに遅い)日本の現状もなんとかすべきとは思いますが、まだまだ、オリンピックというかグローバル社会に向けて、改善すべき点があるような気がします。
そういう改善のアイデアは、海外留学した人とかは、沢山気がつくような気がします。
ぜひ、発信してほしいものだと思います。
 
 
 
 

今日は留萌高校

今日は、13時30分から、留萌高校でお話しをさせていただけます。

留萌の青年会議所が準備をしてくださいました。
だから、一般の人も無料で入れます。

僕は、もう少ししたら赤平を出発します。
天気も悪くないので、安心です。

経験値が涙になるのかも。

僕は、歳をとって、涙もろくなりました。
わりと些細なことでも、涙が出ます。

なんでかな、と考えて見ましたが、
もしかしたらそれは、年齢を重ねるほどに、経験値が増えて、
共感できることが増えているからかなと思います。

以前、中学校の評議委員をやってる時に、授業を参観してくださいといわれたので、
だったら、授業を受けさせて、とお願いして、数学や英語や歴史の授業に混ぜてもらいました。
そのとき驚いたのは、授業がわかることです。
あんだけいやだった英語の授業もわかります。
先生の工夫もあると思いますが、授業が楽しかったです。

で、今朝、会社の朝礼で、会社の子が、いま一生懸命に難しい試験の勉強をしてくれているのですが、彼が、「年齢を重ねてからの方が、新しいことをおぼえるときにも、知ってる単語や言葉が増えているせいか、つながる感じがする。だから、若い頃よりも吸収できる気がする。」という話をしてくれたとき、なるほど、そういうことか。と思いました。

人間は、年をとると、衰えることもあるけど、
適切に経験を増やしていたら、きっと共感も学びも、よりよくできるような気がします。
しかし、経験を増やしていないと、いつまでたっても、共感もできず、学べないのかもしれません。
経験を増やす際に重要なのは、「やったことがないこと」「しらないこと」と関わることのような気がします。既知の範囲だけでは成長は少ないです。
未知の中に、成長があると思います。

だからこそ、「やったことがないからできない」「しらないからできない」は、
成長をストップさせる危険な言葉なんだろうなと思います。

今年も、もうあと少しです。
今年も、本当にいろんな人や本や映画や音楽に出会えました。
それは僕を、より一層涙もろくさせるのだろうと思います。
でも、それでいいのだ。