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植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

滋賀の中小企業家同友会は、とてもいい!

昨夜は、滋賀県栗東で講演をさせていただけました。
招いてくださったのは、滋賀の同友会の方々です。
 
滋賀の同友会と言えば、いまから10年前に、僕をよんでくれました。
僕が、人前でしゃべるようになった、極初期のことです。
おそらく、今にして思えば、超生意気なお話しだったと思います。
 
でもそのあと、滋賀の同友会の方々は、すぐに赤平まで来てくれました。一般の企業の方々の勉強会としては、本当に極初期のケースになりました。
 
その懐かしい人達と再会できる日でした。
 
10年。
あっというまだったけど、その間に、本当にいろんなことがありました。
世の中も、すごく変わったと思います。
リーマンショックも、東北の震災も、未経験だった、10年前の日本。
 
今回再会できた人達にも、10年間にいろんなことがありました。
でもみんな、がんばってました。
いろんな哀しみや困難に立ち向かってきた人達は、優しい笑顔でした。
それは、僕に沢山の勇気をくれました。
 
今回の講演は、120分と、普通よりも時間をとってくださっていました。信頼できる滋賀の同友会の方が作ってくださった時間です。負けないように、容赦なくがんばりました。
聞いてくれた人は、ちょっと大変だったかも。
子どもも沢山来てくれてました。ごめんね。長くて。
 
僕は、永久に続く仕事はないと思っています。
どんな仕事も変化します。
だから、僕らも変化すべきです。
そのためには、変化する時間が必要です。
その時間を生み出す努力が不可欠です。
100%現在の仕事に埋没したら、変化できず、社会の変化について行けないです。
 
学ぶ、ということは、変化です。
学んだことで、自分は変わります。
昨日まで信じていた価値観から抜け出せます。
 
中小企業家同友会は、中小企業の勉強の場です。
そこでは、みんなが先生であり生徒です。
参加するためには、時間を生み出す努力が必要です。
その努力が、時間を生み出す練習になります。
 
でも実は、学びは難しいです。
実は、自分が理解できることや、興味を持てることの中には、あまり学びはありません。なぜならそれは、自分の既知を肯定するだけの行為だからです。
そして、学ぶためには、変化の勇気が必要です。
変化したくない人は学べません。
 
だから僕は、学びで大事なのは、受容だと思います。
排他は学びを否定する行為です。
でも残念ながら、排他的な人は少なくないです。
僕は、排他は、自信の無さから生じるような気がします。
自信がないから、自分を守るために、排他です。
自信を増やすためには、「やったことがないこと」をやるのが効果的です。
でも、自分が理解できないことを「意味なくね」と排他してしまう人は、「やったことがないこと」ができません。
だから、いつまでたっても、自信は増えず、受容もできません。
これは、とても残念なことだと思います。
 
時間の無駄に思えること。
意味なくね、と思えること。
それに、あえて取り組んでみることで、きっと、変化が起きると思います。
そういうチャンスを、滋賀の中小企業家同友会はもっていると思います。激変する時代に対応するために、入って損はないと思います。
 
昨日は、本当に沢山の勇気と変化をもらえました。
優しい人達に、感謝です。

僕の新しい本が出来ました。

このたび、新しい本が出ることになりました。
タイトルは「どうせ無理と思っている君へ」です。
サブタイトルは「本当の自信の増やし方」です。
 
この本は、おそらく、月曜日あたりから、お店に並ぶと思います。
 
この本は、講演おこしの本ではありません。
だから、講演であんまりしゃべっていないことが書かれています。
 
今回重視したのは「自信」の部分です。
 
自信をいかにして失ったのか?
いかにして自信を増やすのか?
 
にページを多く割いています。
 
また、とても素敵なイラストが沢山です。
紙もしっかりしています。
文字も大きいので、
 
「自分なんて・・・」「どーせ・・・・」「無理・・・」が
ついつい口にでてしまう人に、役にたつかもしれません。
 
この本が、人の自信と可能性を奪われない社会のために、
役にたったらいいなと思っています。

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自信と不安の関係が微妙。

以前、「植松さんの自信の元はなんですか?」と質問されて、返答に困ったことがありました。
 
うまく答えられないのです。
なんとなく、
自分の興味と好奇心に素直に生きてきたら、様々な経験が出来て、知識が身に付いて・・・まではよかったのですが、
そこから先で悩みました。
そこから先は、沢山の経験と知識のおかげで、未来の予測ができるし、それに備えることも出来るから、不安が少ない。になりそうになったのです。
 
ということは、自信=不安が少ない状態
と言えることになります。
 
たしかに、そうとも言えるかもしれません。
でも、不安が少ない事だけが、自信ではない気がしました。
だから、悩んでしまいました。
 
不安を減らすためには、
不安から遠ざかる、というのも効果的です。
たとえば、山の中に一人でいたら、熊が怖いです。不安です。
だから、山から遠ざかれば、熊の不安は減ります。
でもそれって、自信じゃないよなあ、という気がします。
 
具体的な経験と知識が増えると、
初めてであうことにも、なんとなく当たりがつくから、
そこそこにできます。
また、「最悪でもこんな感じだろう」というのが予測できてるだけでも、安心感があるから、自信をもって取りかかれます。
でも、いまここで「自信」という言葉を使うのにも、違和感を感じました。
 
もしかしたら、「自信」には、二通りの使い方があって、
それをごっちゃにしてしまってるのかな?という気がします。
それが、「自信を増やす」のがうまくいかない原因になってるかも。
 
と、もっと考えたいのですが、これから移動です。
北海道に帰ってから考えるかな。
 

いじめを減らすためには、子どもの自己肯定感を増やすのが効果的。

いじめは、悲しいです。
人が人から尊重されず、見下され、存在を「不要だ」と言われるのは、悲しいです。
人は人から必要とされたいです。
だからこそ、必要とされないのは、悲しいです。
 
いじめはしてはならないということを、みんな知っています。
でも、いじめはなくなりません。
すなわち、いじめは、知識では防げないということです。
 
いじめは、なぜ生じるのかを考えてみました。
 
僕が見てきた限りでは、いじめは
(1)自信がない、から自分以下をつくって自分を守ろうとする人
(2)相手が苦しむのを見て快感を覚える人
がやっているような感じがします。
 
(2)は、相手の立場で考えることを教えたら解決することもありますが、医学的な治療が必要な場合もあります。
でも、(2)の人達は、数的にはかなり少ないです。
 
だから僕は、(1)のほうが、対策すれば、効果が大きいと思っています。
 
なぜ、日本の子ども達は自己肯定感が低いのか?
 
多くの教育者が、子ども達の自己肯定感の低さを問題視しています。
自己肯定感が低くなるのには、いろんな理由があります。
保護者の自己肯定感が低く、子どもの自信を奪ってるケースがあります。
所得の問題で、劣等感を感じる子もいます。
ほかには、成績がよくないことや、いろんなことがあります。
あってあたりまえです。
大事なのは、どうやったら自己肯定感が増えるのか?です。
 
そこで、大人がやらかすのが、間違った自信の増やし方を教えてしまうことです。
 
とにかく成績を上げさせようとする人がいます。
部活や勉強を沢山させます。
成績が上がった子は、自己肯定感が増えます。
でも、その背景には、成績で負ける子がいます。
そして、「成績が評価されない社会」にでたら、その自己肯定感は、消えてしまうことがあります。
むしろ、そのために費やした時間や努力が無駄だったと思って、
絶望してしまう人もいます。
また、無理な進学をさせた結果、莫大な借金を背負い、家族が苦しむケースもあります。
 
実は、比べる自信は間違った自信です。
比べる自信は、追えば追うほど、自信を失います。
 
本当の自信は、比べなくて成り立つものです。
その本当の自信こそが、自己肯定感になります。
 
本当の自信は、興味と好奇心を満たすことで得られることが多いです。
「やってみたい!」「知りたい!」が、「できた!」「わかった!」になると、比べない自信が増えます。
でも、現在の教育は、興味と好奇心を奪う事があります。
子ども達の、「やってみたい!」「知りたい!」が、
学校の成績評価に関係ない場合、それらは無価値になります。
これでは、自己肯定感は増えないです。
 
たまたま、自分のやりたいことが、学校の評価することだった場合、自己肯定感は増えますが、そもそも、「他者評価」を「自己存在」にするのはとても危険です。
他人に評価されないと自分を保てない人は、評価者がいなくなったり、低い評価をされただけで、自分を保てなくなるからです。
だから、評価されやすいことに走ります。
高価な物を身につけたり、自慢したり・・・
 
子どもの自己肯定感を奪ってる人が、子どもの自己肯定感の低さを心配してる様子は、ナンセンスです。
 
子ども達の自己肯定感が低いと悩むのであれば、
自己肯定感を増やす努力をしたほうがいいです。
そのためには、子ども達の「興味」と「好奇心」を
いかに潰さずに伸ばすかが重要だと思います。
(同時に、子どもの自己肯定感を奪うものから、遠ざける努力も必要ですが、こちらは、なかなか難しいことが多いです。)
 

根拠のある経験と知識を身につけるためには。

人間は自分の経験と知識に基づいて行動します。
 
その経験と知識は、たいていの場合は、外部からもたらされます。
 
自分で考えて行動し、その結果を、自分で考えて、さらに行動する、という「一人PDCA」が出来ている場合は、根拠のある思考と、根拠のある行動ができます。それは、とても強い力です。
 
でも、「なんだかわからないけど、こういうもんだ」と暗記させられた経験や知識は、いざという時の力にならないことが多いです。
なぜならば、自分で検証出来ていないから、根拠に乏しいからです。
また、こういう根拠の乏しい経験と知識しか持たない人は、
自分を守るために、自分の経験と知識を、
「一般的には」「普通は」「常識的に」「世の中」と表現することが多いです。
(僕は、こういう言葉を自分の意見を正当化するために使う人の意見は、情報的価値がとても低いと判断しています。)
 
思い起こせば、僕を教育してくれた人達の多くが、
根拠に乏しい知識と経験を押しつけてくれた気がします。
そういうのは、ぜんぜん覚えていないし、人生に役にたっていません。
 
でも、数少ない人達が、自分で考えて自分で試したことを、生き様として、僕に見せてくれました。彼らは、教えようとしませんでした。ただ見せてくれただけです。でもそれは、僕の力になりました。
 
よくある話ですが、
食べ物がなくて困っている人に、魚をあげるのか、魚の取り方を教えるのか、というのがあると思います。
僕は、魚の取り方を学べたのだと思います。
(ただし、僕の小学校中学校高校の成績が、とても悪かったのは、そのあたりが原因かもしれません。)
 
僕は、自分の講演で気を付けてることがあります。
(昨日も二つ書きましたが、もう一個追加です。)
それは、「他人の話をフルコピーで引用しない」です。
僕は、自分の経験と、自分の思考を話すようにしています。
 
いま、多くの企業は、思考できる人を求めています。
暗記型の経験と知識では、対応出来ません。
でも、思考力は教育では与えられない気がします。
大事なのは、生き様を見せることかも。
それをするためには、「新卒でいきなり先生」というのは、
ちょっとつらいかもしれません。
大きな神社は20年に一度遷宮をしますが、
ある大きな神社の宮司さんが教えてくれました。
「あれは、40代が働いている間に、60代が20代を育てるためなんですよ。」と。
このシステムも、教育に活かせるかもしれません。
(ただし、年齢だけ60代でも、経験と知識がまったくない人もいますので、要注意です。)

不器用な自分を責めないで。

いま、新しいペーパークラフトモデルロケットの設計をしています。
改善点は二つです。
 
一つは、作りやすさをかなり改善しました。
以前は、安定翼を作るときに、作り手の技量の差が大きく出てしまう構造でしたが、今回はすごく短時間で強度のある紙の安定翼ができました。
 
もう一つは、飛行高度を抑えたことです。
モデルロケットの入門機で有名な「α3」という機体は、
最も普及しているA8−3というエンジンでも、かなり飛びます。
そのため、100m競争が出来るほどのグラウンドの広さがないと、打ち上げは困難でした。
でもそれでは、打ち上げられる場所の確保が大変すぎます。
そこで、α3よりも、飛行高度を減らしました。
ただ機体を重くするだけだと、危ないので、空気抵抗を増やすために、機体を大型化しました。
 
今朝の試験では、かなりいい感じ。
 
今回の機体は、過去の機体よりも、構造がかわっています。
だから、自分でも、いきなりつくると、けっこう時間がかかりました。
でも、2機目、3機目となると、どんどん早くなるし、
仕上がりも綺麗になります。
 
では、1機目の僕は、不器用でしょうか?とろいくさいでしょうか?
そんなことないですね。
はじめてだから、不慣れだっただけです。
 
どんなことも、一緒です。
だから、はじめてやったことで、人よりうまく出来なくたって、
そんな自分を責める必要はありません。
もう一度やればいいのです。
何度もやればいいのです。
まもなくエキスパートになれるから。
 
大丈夫。