植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

知らない人と話をするためには。

僕は、沢山の暴力を経験したから、人間が怖いです。
だから、パーソナルエリアが、とてつもなく広いです。
一人ぼっちが大好きです。

でも、そんな僕も、知らない人と会わなければいけません。
それは、かなりのプレッシャーです。
でも、対処法は二つあります。

まず一つは、対人関係用の自分を作ってしまうことです。
笑顔も、あいさつも、しゃべる内容も、ぜーんぶ、当たり障りない演技のルーチンにします。
しゃべる内容も、最小限。相づちとうなずきと。
これは、心配は少なくなりますが、ストレスはものすごく大きいです。
だから、これを続けると、爆発しそうになります。限界があります。

もう一つは、相手に自分を合わせようとするのではなく、自分を理解してくれる相手を探すことです。
そのためには、自分の思考や価値観を伝える事がいいと思います。
それを教えてくれたのは、外国の人達です。
僕の会社には、沢山の外国の人が来てくれます。
彼らが一様にほっとした顔になるのは、僕の趣味を知ったときです。
僕が趣味の話をすると、その趣味を知らなくても、興味と関心を示してくれます。
彼らに言わせると、趣味の話から、価値観や、思考などが、すごくよくわかるので、
安心できるのだそうです。
なるほど。確かにそうかも。
でもきっと、そのときの趣味の話が、自慢ではいけないのだと思います。
本当に、うれしそうに、自分の大好きなことを話すことがいいかも。

でも日本では、趣味は教育の妨げになる害悪である、と教える人が多いものだから、
趣味を持たない人が多いです。それどころか、趣味は害悪や無駄遣いだと思う人も多いです。
それは、おそらく、新しい人間関係を作る上での妨げになるような気がします。

これから、自動翻訳が実用化され、世界はもっとつながります。
そのとき、知らない人達と仲良くなるためには、趣味、って、ものすごく重要な
結合材になるような気がします。
自分の趣味を大切にし、他人の趣味も大切にする。
それができることが、これからのグローバル社会で必要かも知れないなと思います。

 

10年早いわ!なんて言う人は、さっさと追い越していこう!

10年早いわ!
 
というセリフは、漫画の中でしか見たことがなかったけど、
大人になってから、実際に言われたことがあります。感動しました。
 
その人は、電磁石に関して、かなり自信と経験のある人でした。
だから、駆け出しの、電磁石を作り始めたばかりの僕に、「10年早いわ」と言ってくれました。もちろん、いい意味ではないです。
 
僕は、電磁石の中を通過する磁気の流れが、流体の流れにとても似ている、と思いました。
だから、電磁石の解析に、流体の解析を混ぜた、新しいプログラムを考えました。
それが、その人にはおもしろくなかったようです。
 
でも、その人だって、何年電磁石に関わってんの?って調べたら、
確かに、僕より10歳くらい年上だったから、物理的に10年早いのは事実です。
 
でも、その10年の間に、コンピューターも進化し、材料も進化しました。
だから、残念ながら、僕の考えた電磁石の最適化設計プログラムは、電磁石の設計に関しては、その人との経験の差を、急激に埋めてしまったようでした。
だから、悔しかったのだと思います。
 
世の中には、年齢の差を力の差として押しつけてくる人が少なくないです。
そういう人は、たいてい、現在努力していない人です。
なぜなら、日々、新しい情報は増えています。それは、老いも若きも、同時に手に入れられます。
経験も同じです。同じ時間を過ごしていますから、老いも若きも、経験を増やせます。
で、若きに追いつかれるのが悔しくて、「10年早いわ」と、「経験年数の差」を主張する人は、
追いつかれちゃってるわけですから、現在努力をしていない人です。
 
もちろん、経験のない人が、一足飛びに挑戦しようとして、それが危険だと思ったなら、
段階を踏ませるアドバイスは必要です。
でもそのときのセリフは「10年早いわ!」ではないと思います。
僕らがすべきは、後から来た人達を、自分以上に押し上げることです。
それをやらないと、社会は衰退する一方です。
 
何歳になったって、若い人と同じように学べます。経験もできます。
以前、東大で、宇宙が大好きな大学生が集まる集会に参加しました。
そのとき、彼らの熱気と努力に、確かに嫉妬を覚えました。
そして、一緒に行った会社の仲間と話したことは「とりあえず、走るしかないね。」です。
 
「後から来たのに追い越され、泣くのが嫌なら、さあ歩け!」です。
水戸黄門の歌はいいね。


 
 
 
 

自由な思考のために

昨日来てくれた小学校は、ちょっと変わっていました。
 
とにかく先生が、子ども達に考えさせる努力をしています。
 
たとえば、お昼休みの時間に、何するのかな?と問いかけたり。
 
子ども達は、ちょっと戸惑っています。
その戸惑いは、とてもよくわかります。
子ども達は、「間違った答えを言わないように」心配をしているのです。
 
本当は、お昼休みに何をするの?と尋ねられたら、
まずは、自分のしたいことを言ってみるといいと思います。
僕だったら、「ご飯食べる」と言います。
同時に、ご飯食べるためには、机の上を奇麗にしないと・・・とか、
手を洗わないと・・・とか、お弁当を受け取るためには、どうしたらいいかな?
お弁当をみんなが取りに行ったら混雑しそうだな・・・
お弁当を落とさないように持って帰ってくるにはどうしたらいいかな・・・
が、怒濤のようにあふれてくると思います。
 
だから、最後のあいさつで、子ども達にちょっとだけアドバイスしました。
「大事なことは、間違わない、ことじゃなくて、自分がどうしたいか、だよ。」
 
「考える」ことの重要さに気がついている先生のもとで、
この子達は、きっと、新しい時代に対応出来る、
思考できる人になるんだろうな、と思いました。
 
僕は、いろんな学校に行きます。お話しの後で質疑応答の時間もあります。
多くの子どもが「変な質問なんですけど」「くだらない質問ですけど」と言い訳してから
質問をしてくれます。
僕は、都度「変な質問はないよ」「くだらない質問はないよ」と伝えます。
僕は、質問をされたら、必死で考えます。
だって、たいていの質問が、僕の想像の中にないからです。
でも、多くの大人は、自分が準備していない質問をされたら、困るようです。
その「困った」状態の原因が、「わからない」だと認識します。
そして、「大人なのに、わからないのは恥ずかしい」という思考をして、
そういう質問を「くだらない」「いまするべきじゃない」「へんだ」と
切り捨ててしまうのかもしれません。
 
「わからない」を恐れるあまりに、「わからないこと」を「くだらない」「間違っている」と切り捨てると、人間は思考できなくなるかもしれません。
そして、切り捨てられた人も、自動的に「わからない」を恐れるようになります。
やがて、世の中は、「未知」をおそれ、バカにするようになるのかも。
「ちがう」を「おかしい」「へんだ」と差別するようになるのかも。
 
だから、子ども達の質問や、思考を、ジャッジしないでほしいと思います。
子ども達の、自由な思考を支えて伸ばしてあげてほしいと思います。
 
 
 

ワークとライフの意味とバランス(思考途中)

僕は、石炭の町で生まれたから、一生続く仕事がないことを知っています。
だから、一つの仕事を100%の力でやってはいけない、と思っています。
50%で食い扶持を稼いで、50%で未来への投資と修練をすべきと思っています。

だから、僕は、喰っていくために必要な時間を減らすように努力しています。
最も重要なのは、利益率を上げることです。
利益率を上げるために重要なのは、競争相手がいない状態をつくることです。
競争相手が、参入しにくい市場を創るのです。
競争相手が参入しにくい市場とは「不採算」な市場です。
そこで、採算がとれるように工夫するといいと思っています。
手間がかかる部分や、時間がかかる部分を、いかに知恵と工夫で短縮するかです。
まちがっても、仕入れ先を買いたたくとか、してはいけません。
なぜなら、それは、他の誰でもできることだからです。
そして、みんながそれをやったら、売ってくれる人達は、もうからなくなり、やめてしまいます。
そうしたら、仕事が継続できなくなります。
でも、それをやっちゃう会社は多いです。

僕は、この経営方針は、個人についてもフラクタルに相似だと思っています。
個人も、人生の時間に関して、「食い扶持を稼ぐための時間を減らす」と「能力向上の時間を増やす」を意識した方がいいんじゃないかなと思っています。

食い扶持を稼ぐための時間を減らすために有効なのは、
支出を抑えることです。
払う必要があるから、稼がないといけません。

能力向上のために有効なのは、趣味だと思います。
趣味は、好きなことだからがんばれます。のめり込めます。
それが、スキルアップになる趣味であれば、能力向上します。
でも、お金を払ってしてもらうだけの趣味だった場合には、支出を増やすだけの結果になります。だから僕は、創るとか、生み出すとか、考えるとか、学ぶ、という趣味が大事だと思っています。もちろん、自分の希望する範囲には、想定内の能力向上しかないので、
イレギュラーな出会いも大事だと思っています。
やったことがないことをやる努力もとても大事だと思います。

いま、ワークライフバランス、という言葉が聞こえてくるようになりました。
ベーシックインカムという仕組みで、働く時間を減らす、という考え方も増えてきました。
でも、これらを考えるときに、重要なのは、ワーク(労働)とライフ(人生)の定義だと思います。
ワークを、タイムカード押してる時間、に限定して考えてしまったり、
ライフを、自分だけの自由な時間、に限定して考えてしまうと、
ワークライフバランスを理解することは難しいかも知れません。
でも、日本は、先進国の中でも珍しく、労働時間だけで労働を管理しています。
そのため、もしかしたら日本は、ワークライフバランスを理解しにくいかも。

たとえば、1日3時間しか働いてはいけない。となったとき、
画家はどうするでしょう?音楽家は?スポーツ選手は?探検家は?
宇宙ステーションで働いてる人は?
僕だったら、3時間しか働いちゃダメ、といわれても、勝手に働くでしょう。
だって、本当は、人生の時間を何に使うのかは、僕の自由です。

僕は、会社を経営している立場でもあるので、ワークとライフはかなりごっちゃです。
僕は、食い扶持は、社会の役にたつことをしたら、自動的に対価がつく、と思っていますし、実際にそれで稼げています。
そして、新しい分野の開拓は、「知恵と経験と人脈」がプラスになるようにえらんでいます。
そして、僕の趣味は、思いっきり仕事に役にたっています。
僕のワークライフバランスは、渾然一体です。
おそらく、僕は、ライフを生きているのだと思います。

僕がこうなったのは、おそらく、「どうすればいいのかを、自分で考えた」からだと思います。

もしかしたら、ワークとは、「命令に従うこと」で、ライフとは、「自分で考えること」かもしれません。なんて、いま思っちゃいました。
うーん。久々の思考途中の書きかけになってしまった。

 

 

 

学ぶことの投資価値を考えた方がいい。

学校で学ぶことなんて、社会に出たら、何の役にもたたない。
という人は、少なくないです。
下手したら、学校の先生がこれを言うこともあります。

でもそれは、おそらく、学んだことを活かせない生き方をしてるだけだと思います。

僕は、学校で学んだことや、自分で学んだことで、自分の人生を構成しています。
確かに、中学や高校の、受験対策の暗記型の勉強は、6年間という時間の投資に対して、得られる成果が、すごく少ないと感じます。でも、ムダとは思わないです。

学んだことを活かせないケースとして、
おそらくもっとも強力なのは「思考しない」だと思います。
言われたことを、言われたとおりにやるだけ、という、個人の思考や、情報や経験の蓄積が有効に活かせない仕事の場合は、過去の学びは、ほぼ無価値になる可能性があります。

でも、ラッキーなことに、そういう仕事は、自動化されています。
だから、これからの社会では、学校で学ぶこと価値は高まる可能性があると思います。

僕は、「学ぶ」という行為について、以下のことを意識しています。
(1)投資する時間に見合うか?
(2)投資するお金に見合うか?
(3)その価値の時間あたりの価値低下は大きくないか?

これを考えたら、一番効率が悪いのは、「お金を払って、座学で教えてもらうこと」のような気がします。
効率がいいのは、「自分で経験する」のように思います。

最近の専門学校は、まさにこの「自分で経験する」が増えてる気がします。
また、大学でも、専門学校と同じような「自分で経験する」を提供するところが増えています。
でもそれは、本当は、中学や高校の頃から、やろうと思えば、自分自身でも比較的安価にできることだったりします。

僕は、飛行機やロケットの設計者になりたかったです。
だから、子どもの頃から、自分で勝手に本を読んで、設計のまねごとをしまくります。
その結果、僕の中学と高校の成績はとても悪いです。
でも、結局は、僕が自分でやってきたことが、僕の力になりました。

人生は一度しか無いです。意外と短いです。
だからこそ、人生を有効に使うためにも、
学びに対する時間と費用の投資の価値についても、考えた方がいいと思います。
「学校で学ぶことなんて、社会に出たら、何の役にもたたない」なんてのは、
究極に非効率な学びをし、無思考な仕事をしてしまっている結果かもしれません。

完訳ファーブル昆虫記が、ついにコンプリート!

うっかりしていたら、
完訳 ファーブル昆虫記が、
全巻販売になってました。

ずーっと、最後の1巻を待っていましたが、待ちすぎたので、忘れてました。

昨日来てくださった人が、全部そろいましたよ、というようなことをおっしゃっていたので、念のため調べたら、その通りでした。
ありがたいことです。

この完訳ファーブル昆虫記は、とてもよい本です。
値段はちょっと高いですが。それ以上の価値はあると思います。
(あくまでも、個人的な感想です。効能を保障するものではありません。)

僕は、いろんなことがらについて、「何でかな?」「なぜ?」と思います。
そのおかげで、いろんなことに気がつけている気がします。
これは、僕の思考力のもっとも根源的で重要な部分だと思います。
そして、それを僕に教えてくれたのが、ファーブル昆虫記です。

ファーブルさんは、道ばたで見かけた虫を見つめます。
そして、虫のとる行動を「なんでかな?」と考えます。
考えた仮説を確かめるために、彼はいろんな実験をします。
もちろん、仮説が間違ってることがほとんどです。
でも、思いもしなかったことに気がつくことができています。
その行程が、見事に描かれているのが、ファーブル昆虫記です。
この本は、論理的な思考をするための、すばらしいガイドではないかと思います。

なんてことはないある事柄を見つけ、なんでかな?と考えて、試して、確認して・・・
情報が無いから、自分で情報を得る努力。
これこそが、ロボットやAIが得意とする、「与えられた情報に基づく判断」に負けない部分のような気がします。
ロボットやAIに負けないためには、ファーブル昆虫記を読むといいかも。

このファーブル昆虫記。全20巻で、おおよそ10万円です。
1冊5千円ほど。
これを、高いと思うか、価値あると思うか。
僕は、幸いにして、中学生くらいの頃から、航空宇宙関係の専門書を探し回りました。
それらは、需要が少ないせいか、そのほかの本から見たら、数倍割高に感じられました。
でも、小遣い節約して、大学生の時は生活費を節約して買いました。
それらは、今も僕の本棚で僕を支えています。
それらから得られた価値は、本を買うときに支払った価値の数倍では収まらないことを僕は知っています。
本には、素晴らしい知恵と経験が詰まっています。
それを自分の取り込むと言う事は、寿命を延ばすのと同じ効果があるだろう、と僕は思っています。
完訳ファーブル昆虫記を読むと、ファーブルさんの人生を、自分に足せます。
ファーブルさん。記録を残してくれて、本当にありがとう。

 

 

 

学びとは、「教えてもらう」ではなく、勝手な連想かも。

昨日は、中小企業家同友会空知中央地区会の例会でした。
何をしたかというと、「カヌー」に乗りました。

空知中央地区会では、
自分が希望して学ぶことは、所詮は想定の範囲内でしかない。
自分が希望しないことをやってみてはじめて、意図せぬ成長ができる可能性がある。
と考えて、「やったことが無いことをやる」に力を入れています。

今年は、座禅、盆栽、と続いて、カヌーです。

僕にとっては、人生初カヌー。

カヌーと言えば、不安定。転覆。溺死。くらいしかイメージが無かったので、
自分からは乗ろうなんてまったく思ってもいませんでした。
だから、着替えは全取っ替え分用意しました。
本当は、水中めがねとシュノーケルも持参したいほどでした。

場所は、滝川市のB&G海洋センター。
施設の方々が丁寧にパドルの操作の仕方を教えてくれた後は、
基本的に自由でした。

すごい不安を感じながらも、水の上にでてみたら、
初心者用の幅の広いカヌーだけあって、想像以上に安定しています。
しかし、僕は、手こぎボートしか漕いだことがありません。
手こぎボートは、後ろに進むのが当たり前でした。
でも、カヌーは前に進みます。それがすごく違和感でした。

でも、真っ平らな水面。上を見たら青空が天高く抜けています。
すごく静かです。川面を渡る風が気持ちいいです。
と、リラックスしたので、漕ぎます。

小さい頃から、ベン・ハーという映画が好きです。
ベン・ハーといえば、ガレー船による海戦。
100人を越える奴隷が、船のオールにしがみつき、
監督官の「ラミング・スピード!(突撃速度!)」という大声と、
テンポを合わすための槌の音。
それが心の中で響きます。
で、遮二無二漕ぎます。楽しい。

見ると、競技用とおぼしき幅の狭いカヌーもいます。
アメンボのようにすごい抵抗なく水面を滑っていきます。
乗ってみたいなあ。
(ただし、めちゃめちゃ不安定だと思います。)
今回、サポートをしてくれた、同友会のメンバーは、普段は渓流下りなどもするそうです。
速い流れ、浅瀬、滝、いろんな条件を瞬時に判断して、
コースを考えるのは、経営に似ている、と言いました。
同感です。

僕は、スキーや自転車が好きです。それも、競技をやると同じようにコースを考えます。
グランツーリスモという車のゲームも同じです。
アクセル踏めばいいというものではないです。
一つ一つのコーナーを独立して考えてもいけません。
あるコーナーで無理をした結果、3つ後のコーナーでコースアウト。なんてよくあります。
トータルのタイムを短縮したければ、コース全体を見通して、
「最適解」を見つけ出すのが大事です。

でも、そう思っていて、ふと考えました。
きっと、こういう連想は大事なんだな、と。
会社経営と、カヌー。ぱっと見は、まったく関係ないです。
会社経営は仕事。カヌーは遊び。と思えるでしょう。
でも、どちらからも学びがあり、どちらにも活かせます。
この、まるで関係ない事柄の中に、共通する何かを見いだし、活かす、というのは、
もしかしたら、練習しないとできないかもしれません。
でも、できたら、思考力の幅が広がるのだと思います。

僕は、2005年の3月に、生まれて始めてカムイロケットの打上に関わりました。
きっと失敗すると思っていた小さいカムイロケットが、
ものすごい轟音を響かせながら、必死に天に昇っていきました。
僕はその姿を見たときに、「あんなに頑張ってる機械を見たことがない。」と思いました。
そして「自分はあんなに頑張れてるかな。」と思いました。
頑張ってるカムイロケットが美しく見えました。
僕もそうなりたいと思いました。
これは、僕の勝手な連想です。
でも僕は、このおかげで、もうふた踏ん張り頑張れるのだと思います。

どんなことからも学べます。
でもそれは、「教えてもらえる」ではなく、「自分で勝手に連想して活かす」かな、と思います。
そういう「学び」って、とても大事だと思います。
空知中央地区会のメンバーは、比較的年が若い人が多いです。
みんな、独自に学び、独自の感性と思考に基づいて、様々なチャレンジをしています。
その姿が、お互いの刺激になります。そして、遊びつつ学びます。
空知中央地区会に入ると、そういう修練ができますよ。