植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

年上を敬え、という人は、尊敬できない人のことが多い。

僕が時々違和感を覚えるのは、
「年上を敬え」という圧力を、
「年上」が「後輩」に押しつけるシーンです。
 
え、それって、「俺を敬え!」って言ってるってこと?
あのー、すいません、何様ですか?
 
主に体育会系経験者によく見られる言動かな、と思いますが、
そうとも限りません。
体育会系の情報を又聞きして、よくわからないままに劣化コピーしてやってる文系の人もいます。
 
で、ちなみに、こういうことを自分で言っちゃう人は、
年下から敬われていないと思ってる人です。
そして、敬われないのには理由があります。
尊敬や信頼を得られない行動をしています。
 
僕はいろんな大学生と関わりますが、
プロジェクトマネージャーに、うっかりこういう人がなったら
悲劇です。
高圧的にいばりちらし、的を得ないちぐはぐな命令をします。
具体的な指示をしないくせに、他人がやったことに対しては、
文句をつけ、修正をかけます。
こんなことされたら、すべきことは一つです。
「そんなに言うなら、お前やれよ!」です。
そうすると、怒鳴り散らす先輩は、「お前ら、年上を敬え!」と、さらに圧力をかけ、説教をします。
悪循環完成!
 
長く生きていると、人生経験が豊富になる可能性は高いです。
でも、長く生きているから、人生経験が豊富とは限りません。
だから「年齢」で優劣や上下を決めるのはナンセンスです。
 
少し昔の軍隊では、「命令に従わないと成立しない」システムでしたから、命令が間違っていようがいまいが、余計なことを考えずに、命令に従うことが重要になりますが、現在では、その方法では、指揮官が負傷した場合などに、チーム全体が機能を失うことがわかっているので、兵士一人一人の思考能力が重要になっています。
でも、いまだに、第二次世界大戦当時ばりの「命令服従システム」が生き残ってる世界は、おもったよりあります。
でも、そういう組織は、これから、どんどん力を失っています。
 
僕は、たしかに、いろんなことを経験してきました。
そんな僕がすべきことは、その経験を自慢することではなく、
有効だった経験を、いかに仲間に伝えるか、です。
いかにして、後輩を、自分以上の場所に押し上げるのか?
そして、自分は、そんな後輩に負けないように、よじ登り続けるのか?
それがきっと大事だと思っています。
だから僕は、沢山の本を読みます。沢山の人と話をします。
それが、僕の必死の「よじのぼり」です。
 
「俺を尊敬しろ!」「俺を敬え!」って、どんな悪役ですか。
ばかなこと言ってないで、よじ登った方がいいよ。
そして、後から来る人に、ザイルをおろしてあげな。
足場をつくってあげな。
きっと、信頼され、必要とされると思います。

6月10日、11日は、赤平に来てね(赤平ツクリテフェスタ)

先日お知らせした、赤平ツクリテフェスタ。
出展者の応募が締め切られました。
応募の倍率はおおよそ2倍だそうです。
素晴らしい作品ばかりで、選考するのが申し訳ない感じだそうです。
でも、今回が初回の取り組みなので、
いきなりあまり規模を大きくすることに不安があります。
だから、やむを得ず、選考せざるを得ませんが、
今年がうまくいけば、来年はもっと規模を拡大するそうです。
土地はあるしね。
そのためにも、今年、沢山の人が参加してくれたらうれしいです。

今回のツクリテフェスタでは、様々な作家さんのワークショップなども行われる予定だそうです。
素晴らしい作品を見て、そして、自分でも体験して、
出来ることを増やすことができます。
それはきっと、ちいさな自信につながると思います。
お子さんとご一緒の参加も、すごくいい思い出作りが出来ると思います。

植松電機としても、会場提供だけではなく、
会社の設備を体験してもらったり、ロケットのワークショップも準備します。
他にも、赤平匠塾が、沢山の「おもてなし」を考えているそうです。
きっと、とてもおもしろい「ものづくり体験」のイベントになると思います。

ぜひ、6月10日、11日は、スケジュールをあけて、
赤平に来て欲しいです。

 

あかびらツクリテフェスタ | つくるをつなげるイベント

大学に価値はあるのか?(昔よりは、ざっくり1/4くらいに目減りしてるみたい)

ふと考えてみたら、近隣でも高校がどんどん統廃合されてるのに、
大学って減らないですね。
 
調べてみたら、僕が受験した頃と比べて、浪人生の数はおおよそ半分になってました。
 
高校の生徒数は減っているのに、推薦枠は小さくならないから、
推薦で大学に行ける人の割合は、相対的に増えてる感じ。
 
もう、大学進学は「普通」な感じかも。
(まさに、「普通科」の進学先)
 
てことは、大学進学の優位性は、どんどん低下してるって事です。
 
希少だから価値があったものが、
数が増えれば価値が下がるのは、これはもう、当たり前です。
 
調べてみたら、僕が進学した1984年頃の大学進学率は24%程度。
現在は52%程度。
進学率が2倍。てことは、大学進学の希少価値は半分かな。
ちなみに、この間に、学費はおおよそ2倍になってます。
ということは、投資した金額あたりの価値は、約1/4ですね。
 
そりゃ、大学進学は無意味だ、なんて言う人がいるのもうなずけます。
 
でも、僕の経験では、僕は大学で衝撃を覚えています。
高校であれほど理解に苦しんだ数学も物理も英語も、
大学に行ったら、輝きました。するっとわかりました。
なぜなら、大学の授業は、意味を考える授業だったからです。
そのとき、「高校の受験対策の暗記型授業こそ無意味だ」と心底思いました。それに気がつけて良かったです。
ただし、残念ながら、大学では、僕が学びたかったことは、授業では教えてもらえませんでした。
でも、大学には、素晴らしい図書室がありました。
そこには、もうすでに手に入らない本が山ほどありました。
それを、ナンボ読んでも、成績には関係ないです。でも、読んでもいいです。
そして僕は、とれる限り授業をとりました。だって、同じお金払うなら、沢山授業受けた方がいいです。でも、途中で「時間の無駄」と感じた授業には行かなくなりました。だから僕の成績表は、「優」も沢山あったけど、「不可」も沢山あったそうです。就職の時に、採用の係の人から「なんでこんなに不可があるの?」とあきれられました。
 
また僕は、大学で、「測定」を学びました。
これは、今もすごく役にたっています。
 
だから僕は、大学は無意味だと思わないです。
でも、自分の知りたいことややりたいことを、もっと深く掘り下げるために活用するつもりで進学しないと、時間もお金も無意味になると思います。
偏差値で入れそうな所にはいる、のは、ものすごく危険だと思います。
 
でも、いまの高校では、「知りたい」と「やりたい」を持つヒマもないほどに、部活と勉強が忙しすぎます。
僕は高校時代は部活はほとんどやっていません。自分の好きなことをやっていました。それは、まちがいなく、進学後にすごい力になりました。
 
勉強について、「数学なんて社会に出てから何の役にもたたない!」なんて言う人もいますが、それは、あなたが数学を役立たせる生き方をしていないだけですよ、と思います。
僕は、数学の成績は悪かったけど、数学はいまの生活にすごく役にたってます。というか、必要です。
 
 
大学を無価値にするのか、価値にするのか、それは、それぞれの生き方にかかってるかもしれません。
でもきっと、自分への投資を価値にできる生き方をしたほうがいいと思います。
だって、それができないってことは、成長しないって事だから、年々性能が向上するロボットに負けるし、成長する後輩にも負けるって事です。
まあ、だからこそ、後輩をいじめて、成長しないように押さえつけてる先輩や上司もいますけど、そういう人は、その組織にとって害悪ですから、排除しないと会社がまずいです。
 
僕は、大学の価値を活かせる人を育成することが、保護者と、中学高校の大事な役目じゃないかなと思っています。
 

5月13日は、大阪です。同伴の子ども無料。今日まではチケット早割。

5月13日は、大阪で講演させていただけます。
 
タイトルは「夢カレッジ」です。
 
僕は午後から登壇です。
午前から、個性を活かして活躍されてる方が何人も登壇されます。
 
世の中は、すっかり変わってしまいました。
この価値観の変化は、おそらく
「ちょんまげ」から「ざん切り頭」へ
軍国主義」から「現在の日本」へ
ぐらいの価値観の変化じゃないかと思います。
ちょうど、タイムサイクルも同じくらいだし。
 
今までの日本では、「素直でまじめ」な人は仕事に就けました。
でも、いまや「素直でまじめ」はロボットの仕事です。
これからは、「個性」がとても重要です。
人間も企業も「必要だよ」と言われたら大丈夫です。
そして、「必要」とされるには「個性」が必要です。
そして、「個性」は、誰かに教えてもらえる物でも、流行でもありません。ましてや「一般常識」とか「普通」のわけないです。
 
個性とは、自分自身で考えて試した結果です。
今回登壇される方々は、みんなそれをやった人です。
特別な人じゃないと思います。
個性の大切さに気がついて、自分で考えて試した人です。
 
その様々なパターンを学ぶことで、おそらく、
従来とは違う視点での思考が出来るようになります。
それこそが、本当の個性への第一歩だと思います。
 
なんでも、今日までが「早割」だそうで、
ずいぶん安くなるみたい。
そして、なんといっても、同伴のお子さんは無料です。
一人連れてきたら、半額になる、ってことですね。
 
いま、受験は猛烈に変わります。
いま中学生や高校生の子達は、そのすさまじい変化に直面します。
それこそ、価値観が大きく変わってしまうなかで、
新しい時代の新しい価値観を知ることはとても大事です。
 
高校生や、中学生だと、なかなか説得しにくいかもしれないけど、
もしかしたら、僕のTEDxのYoutubeを見せたら来てくれるかも。
 
今日が締め切りの早割を、今日教えるなよ、と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、先月今月とほとんど会社にいなかったので、ものすごく忙しくなってしまい、うっかりしてました。
 
「必要とされるためのヒント」が学べる「会」だと思いますよ。
 
 
 

デマの拡散者にならないために

大きな災害のときなど、
デマが人に誤った行動をとらせて、問題になることがあります。
 
たいていの場合、もともとの「デマ」は、情報ではなく、誰かの不安を文字にしただけだったります。
しかし、その「デマ」が、「情報」になってしまうのは、
拡散のおかげです。
 
自分が耳にしたことを、自分で確認せず、検証もしないで、他人にまことしやかに教えてしまうことで、間違った情報の力がどんどん強くなっていきます。
そして、人に誤った行動をとらせてしまいます。
 
そしてそれは、災害時に限ったことではありません。
 
「進学しないと、大変なことになるぞ!」
「世の中は学歴がなければ、大変なことになる!」
 
この情報。自分で検証したり、確認したりしてる人は、
どれだけいるでしょうか?
 
たとえば、自分が教えた生徒が、卒業後にどうなっているのかを、追跡調査している先生が、どれほどいるでしょうか?
 
僕が知ってる限りでは、卒業生に慕われ、よい関係を作れている先生は、卒業生の最新の情報を手に入れられるため、「学歴は就職などに有利になることもあるけど、学歴が良ければ絶対安心、なんてことはない。」という情報を、現在の生徒に伝えることができています。
 
「自分は学歴で苦労したから、子どもにはそんな思いをさせたくない」という人もいるでしょう。
でもね、その情報は、約20年から30年前の情報じゃないですか?
いまと進学率も違う時代。大学に行く人が少なかった時代には、大学に行ったのと、行かないのとでは、たしかに差はあったと思います。でも、いまや、ほぼ大学全入。昔とは条件が違います。
 
気を付けないと、自分がデマの拡散者になります。
そうならないためには、
(1)新しい情報を得る努力
(2)自分で情報発信するなら、元ネタの情報は自分で確認や検証する
が、とても大事です。
これは、誰もが情報発信できる現在には、とても重要なことです。だから、学校で教えてもいいと思います。
 
でも、「情報の重要さ」を教えるべき人達が、すでに、「検証していない情報の拡散者」になってたりしますから・・・。
 
お子さんをお持ちの方は、ぜひ、子ども達に、「情報」の重要さを教えてあげてほしいです。
同時に、自分が「デマの拡散者」になっていないか、気を付けたらいいと思います。
 

問題を解決するには

僕は、仕事柄、いろんな経営者や先生とお話しをします。
 
話をしてると、おおよそ3種類の人に分類される感じがします。
 
(1)現状に何の問題も感じない人
(2)「このままじゃまずいんじゃない?」と考え、準備する人
(3)現状に問題を感じるけど、自分は何もしない人
 
(1)の人は、幸せなんだろうなと思います。
これから先に、何の心配もない人です。
 
(2)の人は、ある意味、ネガティブシンキングや、強迫観念の持ち主かもしれません。
でも、広島カープスの黒田投手も、毎回毎回不安だったそうです。
不安だから練習してそなえたそうです。
こうなるために大事なことは、自分で出来ることをやることです。
 
(3)の人は、最も多いと思います。
この状態になる人は、何もしないというか、何をしていいのかわからない、何が出来るのかわからない、という状態かも。
 
やっかいなのは、(3)の人達は、問題を認識しているのに、問題を解決する努力をしないから、問題が大きくなるということです。
そして、そんな不安を乗り越えるために、
<なにかのせい型>
・問題をなにかのせいにして、問題源を批判することで行動した気になる。
・問題を解決すべきは「あいつ」だ。あいつがやらないのが悪い!
 
<どうせ変わらないよ型>
・どうせ自分一人がやったって変わらない。だからやらない。
(状態が悪いのは自分のせいじゃない)
 
<どうせ自分が悪いんだ型>
・自分を責めて、自分を追い込む。
(自分はついていない。運が悪い。前にもこんなことが・・・)
 
になるような感じがします。
 
 
こういう人達の多くは、「問題」にとらわれすぎてる事が多いです。
 
僕は、問題を感じたら、その問題が生じた原因を考えます。
そのために効果的なのは、「自分は、なぜその問題を問題だと思うのか?」を考えて、紙に書いてみることです。
できるだけ具体的に、このままだとどんな悪影響が出るかを考えて書き出すといいです。
いいだけ出尽くした感じがしたら、次は、その問題の原因を考えます。
 
たとえば、「お金が無い」という問題。
「お金が無い」だけにとらわれると「お金が欲しい」になります。
でも、そうそう簡単にお金はもらえません。
だから、いつまでも「お金が欲しい」状態です。
 
ケース1
「お金が無い」という状態は、収入と支出のバランスが崩れてることが多いです。
その場合は、収入を増やす努力と同じほどに、支出を減らす努力も効果的になります。
 
ケース2
「お金が欲しい」のは、ほしい物に金額が書いてあるからです。その金額を鵜呑みにして、「払うしかない」と思うとお金が欲しいです。
でも、その「ほしい物」をよくよく考えたらいいです。
それは、他の方法で手に入らないか?
他の方法で間に合わないか?
自分では出来ないか?
いろいろ考えられます。
僕は、たいていの場合、自分で出来るように学ぼうと思います。
なぜなら、学ぶための投資は、自分の身体に蓄積されるからです。
 
宇宙戦艦ヤマトのなかで、沖田艦長はなんどか「うろたえるな!」と怒鳴っています。
僕は、自分に対してこの言葉を使います。
あせると、視野が狭くなります。だからこそ、「うろたえるな!」です。
 
一歩下がって、深呼吸して、問題を見つめ、
「どうすればいいかを考える。」
 
何かを責めたり。自分を責めたり、なにかのせいにしたりしないで、まずは、問題がなぜ問題なのかと、その原因を考えるのが効果的です。

多様化と画一化

以前、テレビの放送で、
人間は、自分と遺伝的関連性が低い相手に興味を示す、というようなことを言っていました。
まあ、そういう傾向がある、という程度だと思いますが、たしかにそうかもね、という気もします。
 
僕らは、雄と雌とで生殖をします。
自己分裂しないです。
雄と雌とが生殖した段階で、お互いの遺伝的形質は薄まります。
新しい遺伝的形質が生まれます。
その「まぐれ」に生物は期待しているのだと思います。
 
生物は、多様化して生き延びてきました。
適者生存という言葉もあるかと思います。
 
ある特定の遺伝的情報をもつ生物は、ある特定の原因で全滅する可能性があります。
だからこそ、異なる遺伝的情報を作り出せば、生存の可能性が増えます。
 
てことは、「画一的教育」は、生存性を低下させる可能性があります。
 
たとえば、昔、機関銃がなく、ボルトアクション式の発射速度の遅いライフルが主な武器だった時代には、短時間に相手の陣地に大勢で押し込む戦法は有効でした。
でも、機関銃が実用化されたとたん、その戦法では、莫大な戦死者を出してしまうことになります。
 
たとえば、戦艦を大砲で沈められない時期がありました。その頃は、戦艦は、ある国の港を簡単に封鎖でき、その国を経済的に滅ぼすことが可能なほどの威力を持っていました。
だから、多くの国が、莫大なお金をかけて戦艦を作りました。
でも、戦艦の水中部分を攻撃する魚雷が実用化されたとたんに、戦艦は沈む可能性をもちました。そのため、戦艦の優位性は一気に低下し、航空機が魚雷を使えるようになったことで、戦艦の存在理由は、ほぼ失われてしまいました。
 
似たような現象は、ビジネスでも頻繁に起きています。
 
永久不滅の価値観はないです。
だから、「教育」は、世の中の一般常識を教える必要もありますが、「画一化しない」ように気を付ける必要があると思います。
 
それは、学校教育だけの話ではありません。
大人になっても同じです。
企業の中、組織の中、古い常識を押しつける画一的な教育は、
生存率を下げる方向に作用する可能性があると、僕は思います。
 
だから僕は、会社の仲間を「俺が教育してやる!」とは思いません。
「指導してやる!」とも思いません。
僕が出来るのは「方向を示す」「経験のチャンスを増やす」「失敗する可能性を考えてもらい、その場合のプランBを考えてもらう。」「失敗した場合のサポートをする」だと思っています。
でもこれで、僕の会社の仲間はどんどん出来ることが増えてると思います。
 
もしも現在の教育システムでは、多様化に対応した教育なんて、人手が足りなくて無理だ、時間が足りなくて無理だ、と言うのなら、
そもそも、現在の教育システムとはちがう方法を考えることも「あり」だと思います。
 
問題に対して、「現状はこうだから改善できない」というのは、思考停止です。
だって、だからこそ問題になっているのです。
重要なのは、「現在のやり方」を変えることを恐れないことです。
 
昔の戦艦は、石炭を燃料にしていました。
ところがイギリスは、いきなり重油を燃料にした戦艦を作ります。
それは、猛反発を受けます。だって、世界に広がる燃料補給システムにあわないのです。いままでの設備投資が無駄になります。
でも、重油は石炭よりエネルギー密度が高いので効率的です。
イギリスは、その後も重油の戦艦をどんどん作り、世界中の石炭で動く戦艦を戦わずして無力化していきます。
 
昔、空母に着陸できる条件で戦闘機を開発している時代には、空母で使える戦闘機の性能は、あるレベルで停滞していました。
しかし、飛行機に合わせてでっかい空母を作っていいよ、という判断をした人がいたおかげで、飛行機の性能は飛躍的に向上し、零戦が誕生します。
 
おそらく、奇跡は、変化を受容したときに起きるのだと思います。
 
だから、「ちがう」を「おかしい」「へんだ」と思うのは、奇跡を生まない思考だと思います。
もちろん、「ちがう」には違和感を感じます。でも、そんなときこそ、それを理解し、受け容れる努力をした方が、自分の成長になると、僕は思っています。