植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

問題を解決できない大人は、子どもの問題解決力を奪う。

世の中は思うとおりには行かないです。
かならず問題が生じます。
それは、どんな人にも降りかかります。

その問題に出会ったときに、
それを改善する努力をするのか、しないのかで、大きな差がつきます。

たとえば、企業の景気が悪化して、売り上げが落ちたとします。
売り上げを回復するための手段として、
(1)新規販路開拓
(2)新製品開発
などが容易に思いつくと思います。
でも、実際には、
「いまでさえ忙しくて一杯一杯なのに、新規販路なんて開拓する余力がない。」
「同上、新製品なんて開発できる余裕がない。」
「新製品を開発したって、市場に理解されるわけがない。」
「新製品を開発するような開発力も資金もない。」
という意見があると、なにもできません。
その結果、どんどん業績が悪くなり、最終的には、会社がなくなり、みんな仕事を失う。
というケースはよく見てきました。

余裕や余力は、普段からあるわけではないです。
それは、絞り出すものです。
そして、余力や余裕は、状況が悪化すればするほど、絞り出すのが大変になります。
すると、状況はさらに悪化します。
ということは、大事なことは「おかしいな、まずいな」と思ったら、
なるべく即座に対応することです。
いつやるのか!いまでしょ!です。

もっといいのは、「まだ問題になっていないうちに、予測して準備しておくこと」です。
それができたら、かなり強くなります。
でも、「問題を認識しない」人は沢山います。
現状、問題が発生しているのに、「以前よりはかなりよくなってるんです。」と言うだけで、
同じ事を繰り返すだけの人達は、問題から目を背けています。

問題を認識しているのに、状態を変えられないで苦しんでいる人の多くが、
思考が浅く、直接的なために、不適切な努力をしています。
たとえば、風邪を引いて熱が出て、体力が落ちているから、体力をアップするために、
筋トレしたり、坂ダッシュしたり、しないでしょ?

なにか問題があったときに、
(1)時間がない
(2)余裕がない
(3)理解がない
だから、努力してるけどどうしようもない。
というように、「ない」が、問題解決できない「原因」だと思ってる場合は、思考が浅いです。
もう一段考えるべきです。それは「原因」ではなく、「解決すべき課題」だからです。
だったら、時間を生み出すにはどうしたらいいのかな?
だったら、余裕を生み出すにはどうしたらいいのかな?
だったら、理解してもらえるにはどうしたらいいのかな?
そこから、さらに考えを深掘りできます。

問題を前にして、苦しい思いをしている場合には、
自分は思考停止していないかな?と疑うべきです。
問題をしっかり分析して、問題の原因を「安易になにかのせい」にしないことがだいじです。

大人が、問題解決をあきらめると、その姿を子どもが見ています。
「ああ、大人になって仕事をすると、努力が報われないんだな。」と思わせてしまったら、
だれも仕事したくなくなります。
「ああ、大人は問題を解決できないんだな。」と思わせてしまったら、
子どもは大人を頼れなくなります。大人に心配をかけまいと、自分で抱えるようになります。

僕は、大人は、子どものためにも、未来のためにも、
問題を解決する姿を見せる義務があると思っています。















「こいつらは能力が無い」と決めつけないで。

学校に講演に行くと、時々言われる言葉があります。
それは
「この子達は、集中力が無いので、90分のお話しは耐えられません。途中で休憩を入れてくれませんか?」「途中で失礼な態度になってしまうかもしれません。」
です。

とても悲しい気持ちになります。

で、実際はどうかというと、生徒は全然大丈夫です。90分話を聞けて、最後にはながいながい拍手をしてくれます。
むしろ、こういう学校に限って、先生が問題です。
腕組んで寝てる先生がいます。iPadなどを操作してる先生もいます。書類書いてる先生もいます。
先生の方が集中できてないやん!

学生の頃、先生に言われました。
「高いところから見てると、寝てる奴丸見えなんだぞ。」
いや、まったくその通り。丸見えです。
そして、生徒もそれを見ています。

こういう先生は、生徒を「能力が無い」と思っています。
さて、その「能力」のあるなしの基準は?

先生の指示通りにできない、というのは、「能力が無い」の基準になります。
でも、そもそも、その指示がわかりにくかったり、矛盾していたり、ということもあります。
それでも、先生の思うとおりの行動ができないと「能力が無い」になります。
また、「このくらいできてあたりまえだろ。」ができないと「能力が無い」になります。
その「あたりまえ」の基準は、先生によってばらばらです。

いままで見てきた限りでは、
指示が曖昧でわかりにくい先生ほど、生徒が思うように動かないから、怒鳴ります。
自分の指示を、なんでわかんないんだ!こんな事もできないお前達はダメ人間だ!と怒ります。
でも、自分の指示が「わかりにくい」とは思わないようです。
なんでかな?

人生は思うようになりません。
こうかな、と思ってやってみたら、そうならないことがあります。
そのとき、僕なら、「なるほど、これじゃダメか。じゃあ、ちがう方法でやってみよう。」と思います。
でも、時々、「なんでうまくいかないんだ!ちゃんとやってるのに!」と、怒り出す人がいます。
そういう人は、そこでストップです。
おもしろくないから、もうやらない。どうせうまくいかないから、もうやらない。になります。
それを、ほかの人にも伝えます。

問題は必ず生じます。
その問題を、「なにかのせい」に単純化する人は、思考が浅いと思います。
そういう人は、問題を解決できないです。
そういう人が先生になると、生徒はかわいそうです。
もちろんそれは、学校だけの問題ではないです。企業でも、家庭でも生じます。

なぜなら、複雑な問題を解決する練習を、学校でしていないからです。
答えが明確な問題しか解かないからです。
だから、思考が浅い人が増えます。
今日も増え続けています。そして、そういう人達は、問題を解決できません。
これは、見事な悪循環です。

いやいや、そういうのは、家庭でやるべきだ。学校の責任ではない!というのは、
よく聞こえてくる言葉ですが、
そもそも、なぜ義務教育を行うようになったのかを、考えてみたらいいです。

学校の教育は、国家の力です。
国を変える力があります。
社会にでた大人を教育する手段はありません。
だからこそ、学校の教育は、とても重たい意味を持っています。
それを、自覚していない先生がいるのは、残念なことです。
すくなくと、自分基準で、子どもを「こいつらは能力が無い」と決めつけるのをやめてほしいです。もしもそう思っているのなら、ひょっとしたら、自分のやり方に問題があるのかもしれませんよ。















信じると、裏切られる、のか。

僕は34才で会社の経営者になりました。
それまでは、植松電機は、僕と父さんだけの青色申告でした。
父さんは、人を雇用できませんでした。
自分の思う通りにならないと「バカヤロ」「コノヤロ」の人でした。
だから、父さんは、技術があるので、よい仕事をしていましたが、会社を経営できていたとは思えないです。

だから僕も、会社経営を全く知らない状態で経営者になりました。
わからないことだらけです。
そんな僕に、先輩経営者がいろんなことを教えてくれました。

「社員を信じない方がいい。親密にならない方がいい。裏切られる。」と
教えてくれる人が沢山いました。
おそらく、そういう経験をしてきたのだろうと思います。
でも僕は、だめでした。会社で働く人を、「社員」とか「従業員」と思えないのです。
だから、家庭のこととか、いろんなことまで気にしてしまいました。
でも、裏切られたことはないと思います。

もちろん、世間一般的に言うところの、「裏切られた」に相当する事はあったかもしれません。
でも、僕は、信じると、裏切られる、の意味を考えたのです。

なぜ、信じると裏切られるのだろう?

というか、信じるってなんだろう? 裏切られたら何がつらいんだろう?

信じるって、「あの人は、きっとこうしてくれるはず・・・」のような気がする。

裏切られるって、「あのひとが、まさかこんなことするなんて・・・」の様な気がする。

ってことは、一般的な「信じる」とは「自分の希望を一方的に相手に押しつけること」で、
「裏切られる」とは、「自分の思う通りにしてくれないからおもしろくない」かも・・・
それって、ものすごく利己的で傲慢な考え方かも・・・・

では、本当の信じるって、なんだろう?
もしかしたら、「自分が信じた相手が、どんなことをしても受け容れること」かも・・・
だとしたら、「裏切られる」という状態は、なくなるんだな。

もちろん、これは、ビジネス上の契約の話ではありません。
人間同士の人間関係のお話しです。
利害が絡むことは、ちゃんと相互の権利を確認し、権利が守られなかった場合のペナルティに関する契約を交わす必要があります。
そして、契約に違反されたら、ペナルティを求めればいいだけです。
(そういう意味では、個人情報保護の契約書が一方的すぎます。万が一個人情報が流出した場合のペナルティが一切書かれていないです。)

僕は、会社に新しい仲間を迎えるとき、それは、恋愛のようなものだと思っています。
相思相愛っぽい感じなら、相手を信じられるはずです。それなら一緒に働けばいいです。

でも、恋愛関係でも、ちょっと困った人達もいます。
恋愛関係なのだから、相手の自由を束縛してもいいんだ。
相手は自分の所有物だ。自分の命令に従わないといけない。
なんて感覚の人達は、一緒に働くことになっても、本当の意味での「信じる」ができなくて、
「裏切られる」のかもしれません。

だから、雇用条件とか、福利厚生とか、休日の日数とかだけで、働く先を決めるということは、
それは、恋愛とはほど遠い状態かも。だとしたら、「裏切られる」かも。
(ん?もしかして今は、交際相手も、収入とか、してくれること、で選ぶのか?)

ときどき、親子間でも、「信じていたのに裏切られた」が生じることがあります。
それは、正しい愛情に基づく関係になっていないのかも。

新しい仲間、新人さんを迎えた会社も多いと思います。
「自分の希望を相手に一方的に押しつけていないかな」は、時々考えた方がいいかも。
もしそうだとしたら、早晩裏切られるかもしれません。
大事なのは、「自分が信じた相手が、どんなことをしても受け容れること」です。
だからもちろん、自分が信じられない相手を、受け容れないほうがいいです。
相手を信じられるかどうか調べるのが、入社試験でしょ?
それとも、入社試験でチェックしてることは、新人のスペックと「こいつは我が社にどんなことをしてくれるかな?」ですかね?
双方でそれをやったら、そこには、「裏切られた」しか残らないかもね。

今一度、「信じる」について考えた方がいいかもしれません。











せっかく大阪にいたのに見逃した!

ああ、残念。
今朝の「おはよう朝日です」という関西のテレビの、本の紹介コーナーで取り上げてもらえたんだった。
せっかく、今朝は伊丹空港のホテルにいたのに。
うっかり見逃した。
北海道では放送されるはずもなく・・・
残念。
 
収録に来てくださった方々が、みんな多趣味でおもしろい人達でした。リポーターの人とも、話がとても盛り上がりました。
だからこそ、見たかったなあ・・・・
残念。
 
おお、残念3連発。

新人にお話しをする先輩へのお願い。

いまは、新入社員研修の季節だと思います。

新入社員研修と言えば、先輩からのありがたい経験談を聞くこともあるかと思います。

で、そのありがたいお話しをする先輩にお願いがあります。

話、盛らないでください。

年齢を重ねれば重ねるほど、特盛りになってる人が少なくないですが、
それ、新人どん引きですから。

僕は、中学生くらいの頃に、戦争経験者の手記を読むのが好きになりました。
一番最初に出会ったのは、フランス空軍のピエール・クロステルマンさんの手記でした。
それがまた、きっと翻訳した人の言語能力も素晴らしかったのだと思うのですが、
戦争の厳しさや、飛行機の美しさなどを、とても素晴らしく僕に伝えてくれました。

調べてみたら、日本人もずいぶん戦争の手記を残しています。
で、読んでみました。

すると、なんとも違和感を感じたのです。
日本人、勇敢すぎ。強すぎ。超人的。
群がる敵を、ばったばったとやっつけたお話しが沢山です。
で、史実を調べてみたら、敵味方の損害数が、どうしても勘定が合わないです。

ちなみに、ばったばった、という意味では、ドイツのルーデルさんや、ハルトマンさんもすごいのですが、彼らの手記には、誇大な表現がとても少なく、控えめに感じられました。

うちの父さんは昭和一桁ですが、その頃の人達は、「寝ないでで働く」が美徳のようです。
だから、一週間徹夜したとか、一ヶ月徹夜したとか、普通におっしゃいますが、
生物学的にそれは無理です。どこかで寝てます。
うちの父さんは、夜、工場の電気をつけて、ソファーで寝てました。
でも、近所の人から、昨日も遅くまで電気ついてましたね、と言われたら、喜んでました。
おまけに、徹夜続きで、フルパワーがでるわけ無いです。8割頭どころか、半分以下になってるでしょう。そんな状態で仕事するのは、ある意味、仕事に失礼です。

昔の常識を、いま押しつけられても困ります。
おまけに、その常識が、特盛りだったりしたら、それがもう、情報ではなく、ただの自慢に過ぎないです。

他人の苦労話は、参考になることが多いですが、
参考になる苦労話は、苦労を乗り越えた方法や考え方が学べる場合です。
「努力と根性で乗り越えた」と言われても、情報の価値はほどんとないです。

だから、新人にお話しをする先輩にお願いです。
なんのために話すのかを、しっかり考えてください。
自分の話すことは、情報かな?それとも自慢かな?
ぜひ、新人にとって有益な「情報」を提供してあげてほしいです。
そのためには、その場の思いつきでしゃべるんじゃなくて、ちゃんと一度、紙に下書きしてからの方がいいと思います。そして、翌日読み返して見てください。
ラブレターと一緒ですよ。

4月23日は千葉の柏でロケット教室。

4月23日 千葉県の柏の葉キャンパス駅のそばの、ツタヤさんで、ロケット体験教室ができることになりました。
 
ツタヤさんが場所を探してくれて、実現できました。
 
今回使用するのは、今回用に特別に開発した新型です。
狭い所でもできるように、改良しました。
おまけに、素材は全部紙。
軽くて安全です。おまけに、コピーすれば、ナンボ失敗しても大丈夫。拡大コピーしたら・・・
 
会場の大きさに限度があるので、先着15名様です。
ぜひ、ロケット作れて飛ばせる人になってください。