植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

進学すれば選択肢が増える、とは限りません。

進学すれば選択肢が広がる。

これは、進路相談で、さんざん言われてきた言葉です。

でも、僕が見た限りでは、
進学のための受験勉強しかしてこなかった人は、
どの大学に行けばいいのかが、よくわからないようです。
そして、どんな仕事に就けばいいのかも、よくわからないようです。
そして、先生の薦めるままに進学先や就職先を決めて、
その結果、うまくいっていない、というケースが
少なくないです。

進学のための勉強しかしていないと、選択肢は増えるかもしれないけど、選択枝を考えたり選んだりする能力が失われる可能性があるようです。

最近の工業系の大学で顕著なのは、
工業系の大学に来た生徒の多くが、
ものづくりの経験が無い、ということです。
そのため、卒業時の試験研究の、試験装置が作れず、
外部に委託するとお金がかかり、
しかも、その設計にミスがあって、試験装置が動かないまま、
卒業論文をなんとかまとめる、という
悲しいケースもあります。

受験勉強だけすればいいってもんじゃないです。
進学先でやることを、はやくからやっていること。
というか、好きでしょうがなくて、やってみたけど、
わからないことがあるから、それをもっと深めるために、
進学を手段として考える。というのが、正しい進学ではないかなと思います。

経済学部に行きたいのならば、小学校位から、経済の勉強も
したって悪くはないです。
カーネギーさんの伝記を読むこともできるでしょう。

なにかをするためときには、
「できるか、できないか」で選ぶのではなく、
「やりたいか、すべきか」を考えることが大事です。

(ということを、以前も書いたら、
できるか、と、できないか、は背反する関係だからいいけど、
やりたいか、と、すべきか、は背反していないから、
論理としておかしい、と言われたことがあります。
なんでやねん。これは、算数じゃないよ。
こういうのも、間違った「理系文系教育」の賜物かな。)

例えば、進学したけど、急に家庭の事情で学校に行くことができなくなったら、どうするの? もうだめ?
就職してみたけど、その会社がつぶれたら、どうするの?もうだめ?

人生は、何があるかわかりません。
だからこそ、選択枝を金で買うようなことはできません。
どんな状況であっても、生き延びるための、より良くを求めるための、選択をしなければいけません。
その力こそが、本当の生きる力、だとしたら、
今の受験勉強に特化した教育は、生きる力を奪っているかもしれません。
想定外の状況に置かれた時に、どうしていいのかわからない人間をうみだしているかもしれません。

学校の先生は、自分の人生の責任を負えません。
自分の人生の責任は、自分でしか負えないのです。
だから、どうすればいいのかを、おしえてもらうのではなく、
どうすればいいのかを、考えるのです。
そして、その考えについて、先生のアドバイスを受けるのは、
正しいです。でも、できれば、自分のやりたいことをやった人に聞くのが一番ですけど。

「どうすればいいんでしょう?」
ではなく
「こう考えてみたけど、どう思われますか?」
のほうがいいです。

自分の人生を大切にするためにも、
自分の未来を、沢山考えた方がいいです。

ちなみに、人間は、年を取るほどに忙しくなって、
考える時間が減っていきます。
20代よりは、10代の方が、時間が沢山あります。
だのにね、どうして、考えることを先延ばしするの?
先延ばしすればするほど、考える時間が無くなるよ。

できるだけはやめに、沢山考えるべきです。
その時間を得るためになら、部活の時間を減らしたりするのも、
ものすごく重要なことです。
自分の人生の時間を
「自分の考えに基づいて使っているのか?」
「誰かの指示に従って使っているのか?」
も、よくよく考えた方がいいです。

人生は、一度しかありませんから。
人生の時間を、大切に有効に使うべきです。