植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

窒素な人に負けないで。

ときどき、問題を解決するための会議の席で、
自分の意見を話さないのに、
他人の意見には文句をつけて、
結局は、「いろいろと難しい問題だから、様々な方面から考える必要があるね。」
と、漠然にもほどがあるわ、というまとめ方をしちゃう人がいます。
 
でもね、問題を解決するための会議を、
「問題は複雑だよねえ」で終わらせないでよ、と思います。
 
こういう人の発言は、時間の無駄でしかないです。
 
他人の意見は、その人が考えた仮説であったり、経験という情報だったりします。
それは、世界の真理ではありません。
というか、どんなことにも完璧に当てはまる真理は、なかなかないと思います。
 
だから、どんな意見にも、適合しないシチュエーションがあります。
それをわざわざ言い立てて、あるシチュエーションで成立しないから、その意見は、どんな場合も成立しない、というロジックの人は少なくないです。
「正」か「誤」かの、デジタルな判断しかできない人は、
100%正で無ければ、100%誤である、という判断をしがちです。
 
でも、こういう人ができるのは、「正」か「誤」かのジャッジだけです。
自分の意見を持ちません。というか持てません。
なぜなら、自分の意見も、「正」か「誤」でジャッジしてしまうと成り立たないからです。
 
だから、ぼんやり漠然な「いろいろと難しいんだよ。」
という答えで締めくくるしかなくなります。
 
これが、問題の解決を阻害していると、僕は思います。
 
世の中の問題は、様々な事象が絡み合っています。
どんな問題も複雑です。かならず、ニワトリと卵の関係です。
でも、「複雑だよねえ」「ニワトリと卵だよねえ」では、問題解決しません。
大事なのは「自分ならどうするか?」を自分の立場で考えることです。
他人ができるかできないかとか、社会がどう動くかなんて、自分で制御できることではないです。
自分がもっとも手っ取り早く具体的に変えられるのは、自分です。
 
でも、人の意見をつぶすけど、自分の意見がない人は沢山います。
そういう人は、「窒素」のようなものです。
そういう人の意見は、情報になりません。
スルーするのが一番です。