福岡大学のベンチャー起業特論に注目すべき!
昨日は、福岡大学でベンチャー起業特論の授業をさせていただけました。
もう、何年もよんでいただけています。
担当の先生は、とても素敵な方で、最初に聞かされて感動したのが
「日本では、雇われ方しか教えていない。でも、雇い方を教えたら、その子は会社を興して人を雇うかもしれない。そうしたら、雇用問題が改善されるかもしれない。」です。
僕も、海外の教育などを勉強していて感じたのは、
海外では「雇われ方」と「雇い方」を混ぜた、「働き方」を教えているのに、
日本では、下手をしたら、「雇われ方」すら教えず、「言う事のきき方」や「募集条件のバスの仕方」しか教えていないことです。
以前、面接の時に、「趣味は読書です!」と力強く言い切った子に、僕はうれしくなって、
「最近、どんな本読んだの?」と尋ねたら、その子は口ごもってしまいました。
彼は、読書が趣味ではなかったのです。
おそらく、学校では、「趣味は読書です」と言ったら、好感度が上がる、ということを教えたのだと思います。
その子は、自分の趣味ではない読書を、採用試験に受かるために、好きです、と言わされたのです。だとしたら、学校が、子どもに嘘の付き方を教えたことになります。それでいいのかな?
福岡大学のベンチャー起業特論に参加してる子達は、年々よくなっています。
これは間違いなく、先輩達の蓄積が有効に作用していることを示しています。
このゼミでは、様々な企業と連係して、様々なプロジェクトに挑戦しています。
新製品開発や、企業の問題解決などを、どんどん経験します。
ものすごく沢山の学校外の人と関わります。そして、すごく魅力的な先輩達が毎年増えます。
その先輩達が、様々な、ちょっと変わった企業に就職したり、自分で会社を興したりして、
後輩達にさらにチャンスをつくっています。
おそらく、あと5年したら、このゼミは、日本の経済に影響を与えると僕は思っています。
それほどパワフルで魅力的な人達が、どんどん増えています。
先月の千葉の柏の葉のツタヤさんでロケット教室をしたとき、
まさに、この福岡大学のベンチャー起業特論の卒業生と再開できました。
いま、ツタヤさんは、縮小する出版の世界で、独自の展開をしています。
そのちょっと変わった挑戦に、彼が関わって頑張ってるのは、素晴らしいと思いました。
正直に言うと、このゼミの子達は、植松電機でもほしいくらいです。
まちがいなく、伸びます。そして、信頼できます。そして、素敵な人脈をもっています。
このゼミの子達を採用した会社は、彼らを自由にさせられれば、発展するでしょう。
(ただし、彼らを管理し制御しようとしたら、絶対に思うとおりにはならないです。)
日本は、明治維新のあと、爆発的に人口が増えて、2004年をピークにして、人口減少時代を迎えています。
この折り返し地点を過ぎてから、社会はすっかり変わったのです。
人口が増えている時代の常識や普通は通用しない社会になったのです。
ちょんまげがざんぎり頭になるくらいのパラダイムシフトだと思います。
この人口減少時代には、先輩が後輩を自分以下にすると、社会はさらに衰退します。
そして、「教育」と「命令」は、自分以下を作ります。
いままでは、日本人の美徳は「素直・まじめ・勤勉」でした。
でもそれは、どう考えても、ロボットの方ができてしまいます。
では、日本人から「素直・まじめ・勤勉」をとったら何が残るのでしょう?
もう、子ども達を「素直・まじめ・勤勉」にする教育は、
ロボットに負ける教育になってきました。
だから僕は、「素直・まじめ・勤勉」に変わる新しい価値観が必要なのだと思います。
僕はそれを「興味と好奇心」だと思っています。
(だから、福沢諭吉の唱えた「発育」という考え方の存在を知ってもらえたらなと思います。)
福岡大学のベンチャー起業特論のゼミでは、まさにこの、「興味と好奇心」をフルパワーで磨いています。これからの時代に求められる人材を作っています。
企業の人は、この「福岡大学のベンチャー起業特論」の生徒を採用し、彼らを自由にさせたら、間違いなく会社は発展します。彼らはきっと、ついでに町おこしもやっちゃうでしょう。そのぐらいの勢いです。
そして、進学を考える子達は、この「福岡大学のベンチャー起業特論」を受けられる学科についてぜひぜひ考えてみてほしいです。
素晴らしい先輩達の経験と人脈という資本が自分のものになります。
そして、毎年春に、僕の「福岡大学のベンチャー起業特論」スペシャル授業があります。
どこの講演とも、けっこうちがいます。ながいしね。
在学中、最大で4回くらい聞かされる羽目になると思います。
いや、それはいいわ。でもいいので、
この素晴らしい「福岡大学のベンチャー起業特論」に注目してほしいです。
5月20日は埼玉の行田でお話しさせていただけます。
5月20日は、埼玉県の行田市でお話しさせていただけます。
下記のHPから予約をすると、
参加費無料で、先着500名様だそうです。
地図を見たら、そばに古墳が!?
うらやましいのう。歴史がある町は好きです。
特に、大昔の人達の暮らしを知るのが好きです。
だって、同じ人間ですよ。下手したら僕ら以上に思考してる感じがします。
不便な大昔を生きた人達の暮らしからは、多くを学べるから好きです。
先週の段階では、まだ空いていましたし、
いまも募集状態なので、まだ間に合うかと。
僕は、学校向けの講演をメインにしているので、
関東近郊で一般の方が入れる無料の講演会はかなり珍しいと思います。
http://www.gyoda-jc.or.jp/2017/?p=713
チンピラ先生
ひさびさのプラモ
問題を解決できない大人は、子どもの問題解決力を奪う。
世の中は思うとおりには行かないです。
かならず問題が生じます。
それは、どんな人にも降りかかります。
その問題に出会ったときに、
それを改善する努力をするのか、しないのかで、大きな差がつきます。
たとえば、企業の景気が悪化して、売り上げが落ちたとします。
売り上げを回復するための手段として、
(1)新規販路開拓
(2)新製品開発
などが容易に思いつくと思います。
でも、実際には、
「いまでさえ忙しくて一杯一杯なのに、新規販路なんて開拓する余力がない。」
「同上、新製品なんて開発できる余裕がない。」
「新製品を開発したって、市場に理解されるわけがない。」
「新製品を開発するような開発力も資金もない。」
という意見があると、なにもできません。
その結果、どんどん業績が悪くなり、最終的には、会社がなくなり、みんな仕事を失う。
というケースはよく見てきました。
余裕や余力は、普段からあるわけではないです。
それは、絞り出すものです。
そして、余力や余裕は、状況が悪化すればするほど、絞り出すのが大変になります。
すると、状況はさらに悪化します。
ということは、大事なことは「おかしいな、まずいな」と思ったら、
なるべく即座に対応することです。
いつやるのか!いまでしょ!です。
もっといいのは、「まだ問題になっていないうちに、予測して準備しておくこと」です。
それができたら、かなり強くなります。
でも、「問題を認識しない」人は沢山います。
現状、問題が発生しているのに、「以前よりはかなりよくなってるんです。」と言うだけで、
同じ事を繰り返すだけの人達は、問題から目を背けています。
問題を認識しているのに、状態を変えられないで苦しんでいる人の多くが、
思考が浅く、直接的なために、不適切な努力をしています。
たとえば、風邪を引いて熱が出て、体力が落ちているから、体力をアップするために、
筋トレしたり、坂ダッシュしたり、しないでしょ?
なにか問題があったときに、
(1)時間がない
(2)余裕がない
(3)理解がない
だから、努力してるけどどうしようもない。
というように、「ない」が、問題解決できない「原因」だと思ってる場合は、思考が浅いです。
もう一段考えるべきです。それは「原因」ではなく、「解決すべき課題」だからです。
だったら、時間を生み出すにはどうしたらいいのかな?
だったら、余裕を生み出すにはどうしたらいいのかな?
だったら、理解してもらえるにはどうしたらいいのかな?
そこから、さらに考えを深掘りできます。
問題を前にして、苦しい思いをしている場合には、
自分は思考停止していないかな?と疑うべきです。
問題をしっかり分析して、問題の原因を「安易になにかのせい」にしないことがだいじです。
大人が、問題解決をあきらめると、その姿を子どもが見ています。
「ああ、大人になって仕事をすると、努力が報われないんだな。」と思わせてしまったら、
だれも仕事したくなくなります。
「ああ、大人は問題を解決できないんだな。」と思わせてしまったら、
子どもは大人を頼れなくなります。大人に心配をかけまいと、自分で抱えるようになります。
僕は、大人は、子どものためにも、未来のためにも、
問題を解決する姿を見せる義務があると思っています。
「こいつらは能力が無い」と決めつけないで。
学校に講演に行くと、時々言われる言葉があります。
それは
「この子達は、集中力が無いので、90分のお話しは耐えられません。途中で休憩を入れてくれませんか?」「途中で失礼な態度になってしまうかもしれません。」
です。
とても悲しい気持ちになります。
で、実際はどうかというと、生徒は全然大丈夫です。90分話を聞けて、最後にはながいながい拍手をしてくれます。
むしろ、こういう学校に限って、先生が問題です。
腕組んで寝てる先生がいます。iPadなどを操作してる先生もいます。書類書いてる先生もいます。
先生の方が集中できてないやん!
学生の頃、先生に言われました。
「高いところから見てると、寝てる奴丸見えなんだぞ。」
いや、まったくその通り。丸見えです。
そして、生徒もそれを見ています。
こういう先生は、生徒を「能力が無い」と思っています。
さて、その「能力」のあるなしの基準は?
先生の指示通りにできない、というのは、「能力が無い」の基準になります。
でも、そもそも、その指示がわかりにくかったり、矛盾していたり、ということもあります。
それでも、先生の思うとおりの行動ができないと「能力が無い」になります。
また、「このくらいできてあたりまえだろ。」ができないと「能力が無い」になります。
その「あたりまえ」の基準は、先生によってばらばらです。
いままで見てきた限りでは、
指示が曖昧でわかりにくい先生ほど、生徒が思うように動かないから、怒鳴ります。
自分の指示を、なんでわかんないんだ!こんな事もできないお前達はダメ人間だ!と怒ります。
でも、自分の指示が「わかりにくい」とは思わないようです。
なんでかな?
人生は思うようになりません。
こうかな、と思ってやってみたら、そうならないことがあります。
そのとき、僕なら、「なるほど、これじゃダメか。じゃあ、ちがう方法でやってみよう。」と思います。
でも、時々、「なんでうまくいかないんだ!ちゃんとやってるのに!」と、怒り出す人がいます。
そういう人は、そこでストップです。
おもしろくないから、もうやらない。どうせうまくいかないから、もうやらない。になります。
それを、ほかの人にも伝えます。
問題は必ず生じます。
その問題を、「なにかのせい」に単純化する人は、思考が浅いと思います。
そういう人は、問題を解決できないです。
そういう人が先生になると、生徒はかわいそうです。
もちろんそれは、学校だけの問題ではないです。企業でも、家庭でも生じます。
なぜなら、複雑な問題を解決する練習を、学校でしていないからです。
答えが明確な問題しか解かないからです。
だから、思考が浅い人が増えます。
今日も増え続けています。そして、そういう人達は、問題を解決できません。
これは、見事な悪循環です。
いやいや、そういうのは、家庭でやるべきだ。学校の責任ではない!というのは、
よく聞こえてくる言葉ですが、
そもそも、なぜ義務教育を行うようになったのかを、考えてみたらいいです。
学校の教育は、国家の力です。
国を変える力があります。
社会にでた大人を教育する手段はありません。
だからこそ、学校の教育は、とても重たい意味を持っています。
それを、自覚していない先生がいるのは、残念なことです。
すくなくと、自分基準で、子どもを「こいつらは能力が無い」と決めつけるのをやめてほしいです。もしもそう思っているのなら、ひょっとしたら、自分のやり方に問題があるのかもしれませんよ。