植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

暴力の連鎖を断ち切ろう

なぜ人は、弱いものをいじめるのか?
なぜ人は、弱いものに暴力を振るうのか?

「だれでも良かった」と言って人を襲う通り魔も、
実はよくよくみたら、自分より弱そうな、女性や高齢者、子どもを攻撃しています。

神奈川県の海水浴場の風紀が悪くなったので改善するために、
普通の体格の方々がいくら注意をしても無視されたのが、
屈強な体格の方々が注意をするようになったら、
あっというまに改善された、というケースもあったようです。

小学生の頃、帽子を取られて、返してもらえない、という経験をしましたが、帽子を取る子がターゲットにするのは、まちがいなく、
自分よりも運動性能が低く、大人しく、反撃してこなさそうな子達でした。

企業においても、上司と部下とで、態度をがらりと変える人は少なくありません。

学校においても、いつもは大声を張り上げ、体罰をする先生が、教育委員会の人などが来ている時には、とてもおとなしい、というシーンも、何度も見ています。

彼らは、自分が弱い、ということを認識しています。
その上で、自分より弱い者をしいたげます。
強い者の前では、借りて来た猫のように大人しくなります。
それは、とても卑怯な行為です。

「生徒や、後輩や、部下に、なめられないために」と言って、恫喝や暴力を使う人もいますが、自分の態度を相手によってコロコロ変える行動は、まちがいなくなめられます。
なめられるから、悔しくて恥ずかしいから、ますます恫喝と暴力です。行動原理が、幼稚です。

なぜ、そういう人が生まれるのか?
おそらくは、自分が弱い時に、暴力と恫喝を受けたからかもしれません。
中学1年の時に、運動系の部活をしている子達が、先輩にひどい恥ずかしめを受けた、とぼやいていました。しかし、驚きなのは、「来年になったら、新しい1年にそれをやってやる!そうしないと、損だ!」と言い出すことでした。
まったく理解できません。そもそも何が「損」なんだ?

昨年、倍返し、という言葉が流行りましたが、
僕はその言葉がとても嫌でした。
倍返しの倍返しも必ずおきると思うからです。

ミュンヘン」という映画があります。
ミュンヘンオリンピックでおきた、イスラエル選手団の殺害事件のあとを描く映画です。
イスラエルが復讐のために、事件の関係者を暗殺していきます。
でも、それに対する報復もはじまり、やがては、どんどん、関係のない人までも巻き込むようになっていきます。
最初は、殺されたイスラエル選手団の復讐に燃えていたイスラエル特殊部隊のメンバーも、どんどん、深く悩み、苦しむようになります。
救われない映画ですが、復讐の連鎖の恐ろしさと悲しみが描かれています。
(ただし、出血流血を伴う残酷描写も多いので、見る場合は、それを乗り越えて考え学ぶ努力ができる人限定です。)

暴力の連鎖を断ち切るにはどうしたらいいか。
それは、自分が防波堤になることです。
自分が断ち切るしかありません。

されたことを、やりかえす。
自分よりもよわいものをやっつける。
をやめるのです。

問題を解決するため暴力や恫喝を使う必要はありません。
自分の「安心」「自信」「自由」を守るために、
相手の「安心」「自信」「自由」を奪ってはいけません。

問題を解決するためには、
「なんでだろう」「だったらこうしてみたら」です。

何が原因なのか?
何が嫌なのか?
それを解決するために、暴力や恫喝を使わずに、なにができるのか?

自分のアドレナリンに負けずに、思考すること。
これが、暴力の連鎖を食い止める方法のような気がします。