植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

現状をよりよくしたいのか、「どーせ変わらない」のか。

僕は、現在の「特別な支援」が、ごく限定されたことにしか対応出来ていないことを知っています。
しかも、都会と田舎では、まったく違います。
そして「特別な支援」を嫌う保護者が多いことも知っています。
そのため、学校の先生が、とても苦しんでいることも知っています。(もちろん、一番苦しいのは子ども達だと思います。)


でも、様々な「特別な支援」が、年々、徐々に改善されている事も知っています。(本当にゆっくりですが)
昔は、TTもありませんでしたね。
少し前の新聞には、「性同一性障害」についての改善の記事も載っていました。(これは、いきなり言われても、現場の先生や保護者が混乱すると思いますが。)

これらの改善は、なぜ起きているのでしょう?
それは、改善しようとしている人たちがいるからです。
それは、誰でしょう?
それは、現場の先生です。そして、現場の保護者です。

現場を知るのは、現場の先生です。現場の保護者です。
その人達が、がんばって、研究会で報告したり、
様々な人脈を活かして関わったりして、努力しています。
その人達は、現状を「しょうがない」とあきらめない人たちです。

どんな問題も、「いや、しょうがないんだよ。一人ぐらいががんばったって、変わらないんだよ。」とみんなが思ったら、
絶対に改善されることはありません。
みんながそうだったら、チフスだって、コレラだって、狂犬病だって、いまだに大流行してるでしょう。
でも、どこかで誰かががんばっています。
状況をよりよくしようとがんばっています。

いじめの対策として、加害者にならない、しない。被害者にならない、しない。そして、傍観者にしない、ならない。というものがあります。
僕は、「いろいろ難しくて、しょうがないんだよねえ」という傍観者にはなりたくないです。


僕は児童虐待を無くしたいです。
そんなの無くなるわけない。と言われます。
でも、無くなるわけないから、なにもしない、を選びたくないです。
僕は、無くなるかもしれないから、努力したいです。
でもときどき「そんなことやる余裕あっていいね」「おまえのやってることは無駄だ」と言われたりすると、かなり悲しくなります。
だって、余裕なんて無いです。会社を経営しながらだから、とにかく時間が足りないです。リーマンショックの時には、本当にお金もなかったです。それでも学校に行きました。
講演に行くと、学校にいる時間は、2時間程度です。でも、僕はそこに行くために、往復で丸一日使っています。その時間を作り出すために、どんな努力をしてるかは、知らない人の方が多いでしょう。でも、つらい自慢大会は不毛です。
僕は、児童虐待を無くしたいから、自分でできることをします。
そして、がんばる人を、応援します。

もちろん、今日も虐待は起きています。
命を落とす子ども達もいます。
僕の出来ることは、本当にわずかでしかないです。

僕のfacebookは、現状をよりよくしたい、
と思う人たちを応援したくて書いています。
でも、そうじゃない人にとっては、苦痛かもしれません。
だったら、見ない、という選択の自由があります。
それを行使して、心穏やかにしてほしいと思います。