植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

なんでこんなこともできないんだ!は要注意。

昔行われた人間をつかった実験のお話です。

ある吃音で悩む科学者が、
自分の吃音の原因は、自分の親の過干渉によるものではないかと仮説を立て、それを実験で確認しようとしました。

まったく普通に流暢にしゃべることができる子ども達を集め、
ある文章を読ませます。
そのとき、普通にしゃべることができているのに、
「あ、いまつっかえた。はい、やりなおして。」
と、強制的に何度も中断させるのだそうです。
そのとき、不愉快な顔や、ため息、怒り、を
示すのだそうです。

そうすると、まもなく、実験に関わった子ども達は、
ちゃんとしゃべることができなくなってしまったそうです。
しかし、吃音にはなりませんでした。
人間関係を恐れるようになり、自己表現をしない子どもになってしまったそうです。

それは、後に、被害にあったこどもたちの訴えで裁判にもなりましたが、実験に関わった子ども達は、70歳を過ぎてもまだ、
実験の後遺症に苦しんだそうです。

僕は、小学校に入学したとき、小学校に行くのが楽しみでした。
新品のノート。新品の教科書。新品の教材。新品の道具箱。
新品のねんど。どれもが輝いて見えていました。

でも、まもなく、僕が学校も勉強も嫌いになります。
なぜなら、不愉快な顔、ため息、怒り、です。
できないことをできるようにするのが練習のはずですが、
できないことを怒られます。
できる子と比べられて、できないことをダメ呼ばわりされます。
先生の機嫌や表情ばかりが気になります。
先生を怒らせないように、びくびくするようになり、
やがて僕は、頻繁に体調を崩すようになり、
学校を休みたいと思うようになりました。
でも、熱があって早退しても、家につくなり、
もう一度学校に連れ戻されるという家庭でしたので、
学校を休むこともかないません。
やがてぼくは、小学校の2年生のころには、
自動車にひかれたくなります。
自動車事故に遭えば、入院できて、学校に行かなくてすむかも・・・とおもうようになりました。
あんなに輝いていた教科書やノートには、
もう、なんの輝きもありませんでした。

教育者や指導者の影響は絶大です。
人を伸ばすこともできます。
人を潰すこともできます。
それほど重要な仕事だからこそ、先生には免許があるのかも。

人にものごとを教えるとき、
相手ができないことを、「なんでできないんだ!」と
叱ってもなんにもなりません。
なぜなら、わからないからできないのです。
大事なのは、なぜできないのかを考えることです。
そして、できるようにする方法を試すことです。
しかし、考える能力の無い人間は、
相手の「できない」という事実だけを攻撃します。
もしかしたら、自分の教え方が悪いのかもしれないのに。
そういう人は、先生をやるべきではないと思います。

冒頭の実験の話しが示すように、
できるひとでも、「なんでできないんだ!」と叱責されたら、
できなくなってしまいます。
だからこそ、「なんでできないんだ!」
「なんでこんなこともできないんだ!」という叱り方は、
しないほうがいいのかもしれません。
(なんでできないんだ!と叱る人は、考える能力が無い人か、ただ叱りたいだけの人なのかも知れません。)