センスは磨ける!
やっぱり、中小企業家同友会、空知中央地区会いいなあ。
昨日は、デザイン力についての勉強でした。
しかし、それは、デザインのハウツーではなく、
センスについてのお話でした。
日本では、センスは、才能と同義につかわれることも多いかも。
いやー。おれ、センスないんだよねえ。
センスの無いやつは、どんだけ努力しても無駄。
なんていう言葉は、そこら中に溢れています。
でも僕は、センスや才能は、努力によって磨かれるものだと思っています。
だって、僕が知っている限り、センスのある人や、才能のある人は、努力しています。
自分の人生の時間を、どん欲に「知る」と「やる」に費やしています。
昨日の先生も、まさにそこを美しい言葉で表現してくれました。
センス=数値化できない現象の最適解を見いだす能力
そのためには、いかに多くの多様な「普通」を知っているのかが重要。
センスを高めるためには、可能な限りの情報を集めること。
(知りたがり、やりたがること)
ベストセラーから学び、ロングセラーから学び、ナウオンヒッツから学び、その中にある不偏的共通項を見いだしていくこと。
センスが無い、という状態は、情報不足なのかもしれません。
才能が無い、という状態も、情報や経験の不足なのかもしれません。
子ども達が書く絵は、個性的です。個々人のセンスに溢れています。
それは、彼らが、しりたがりの、やりたがりだからかも。
それがいつのまには、能力を否定され、努力を否定され、
「お前にはセンスが無い」
「お前には才能が無い」
「だから、努力しても無駄だ」
「そんなことしてる暇があったら、できることをやりなさい。」
と言われることで、
自分を表現するのが怖くなってしまうのかも。
才能がない、センスが無い、と嘆く暇があったら、
知りたがり、やりたがればいいのかもしれません。
そして、
「才能が無い人間は、努力をしても無駄」という言葉に
決して負けないでください。
なぜなら、負けたら、同じことを他人に教える人になります。
(ちなみに、僕は会社を経営していますが、最初は、やったことがないから失敗しまくりです。でもそれは、センスが無かったからではなく、情報と経験が不足していたからです。だから、「いやー俺には会社経営向いていないわ・・」と投げ出しませんでした。だから、今の植松電機があるのだと思います。)