植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

言葉の影響を考えよう。

子どもの頃、怪我をすると、すごく怒られました。
「なにやってんの!」=「みてのとおりです。」

「あんたが、そそっかしいから!」=「まったくそのとおりです。」
(そそっかしいは、北海道弁か?粗忽という意味だと思うけど。)

「注意しなさいって、あんだけいったでしょ!」=「はい。たしかに言われてました。でも、夢中になってわすれてました。」

怪我をしてつらいのに、さらに怒られます。
ダブルパンチで、つらかったです。
(でもまあ、気持ちはわかります。)

で、僕は、子ども心に、
「いまそんなこと言ってもしょうがないだろうに・・・」
と思っていました。


空き巣に入られた人は、
「そんなところに住むからだよ。」
「不用心だからだよ。」
と、言われてしまうことがあるそうです。

暴行された人は、
「そんな暗い道を一人で歩くからだよ。」
「そんな遅い時間まで遊んでるからだよ。」
「そんなやつと付き合うからだよ。」
と、言われてしまうことがあるそうです。

言われた方は、つらいです。
怪我ならともかく、犯罪の犠牲になった人に向かって、
犯罪に巻き込まれたあなたが悪い、というようなことを、
どうして言えるのかな?と思います。
だって、悪いのは、犯罪を犯した人でしょ?

自分が空き巣に入られたとしたら、なんて言ってほしいだろう。
自分が暴行されたとしたら、なんて言ってほしいだろう。
ということを、どうして考えられないのかなと思います。



直感的にしゃべりすぎる人がいます。
おもったことを、そのまんま口に出したり、送信する人達です。
でもそれが、様々なトラブルの元になっていることがあります。

アメリカの少女が、ネットでのいじめなどを防ぐために、
文章を送信しようとしたら、その文章の中のネガティブな言葉に反応して、自動的に「本当にその言葉を送信しますか?」というメッセージを出す方法を考えたそうですが、
少女がおもいつくことを、思いつかない大人が少なくないです。
(これも、会社の朝礼で会社の子に教えられたことですが。)

この言葉が、受け取った人に、どんな影響を与えるだろう。
ということを考える人が増えたら、
もうすこし、世の中はよくなるかもしれません。

ン?お前こそ、よく考えろ?
そうだよなあ。確かに、僕の書いていることで、
不愉快な思いをしている人もいるでしょうね。
特に、暴力や支配を、必要だと思ってしている人達は、おもしろくないでしょう。
学校で講演をするとき、僕は、先生の顔もじっくり見ています。
うなずきながら、涙を拭ってくれる先生もいます。
ぶすっとした顔で、首を左右に振る先生もいます。
寝ている先生もいます。
講演のあと、生徒に「あいつの言っていたことは奇麗事だからな」と説明してくれる先生もいたそうです。

僕は、暴力や支配を必要だと思う人に不快に思われてもいいです。
僕は、暴力や支配にくじけそうになってる人の心が、
少しか楽になったらいいなあ、と思いながら書いています。

僕は、他人の自信や可能性をうばう人が嫌です。
でも、僕は、
「他人の自信や可能性を奪う人をいなくしたい」と思わないです。
だって、そういう人を消してしまうことはできません。
だから僕は、
「他人の自信や可能性を奪う人に、負けない人を増やしたい。」です。

パワハラや、いじめや、暴力や・・・
とにかく、様々な抑圧がそこら中にあります。
それに負けた人が、それをやってしまうことも多いです。
まるで、ゾンビか、ウィルスのようです。
それを食い止めるためには、
負けない人を増やすのが一番だと思います。

だから、僕は、書きつづけます。
一部の人を不愉快にさせてると思うけど。