植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

パワハラ・モラハラは、我慢しないで相談しよう。

NHKで以前放送いていた、
未解決事件の番組で、
オウム真理教が取り上げられていました。

録音を基にした再現映像の中で、
オウム心理教の麻原彰晃が、信者を洗脳する様子が
描かれていました。

麻原彰晃は、信者に対して、ある問題について、
「これについて、君はどう考えるんだ?」と問います。
信者は、一生懸命に考えて答えます。
すると、麻原彰晃は、それを否定し、
君はまだまだだめだ。と怒ります。
信者は、自信を失います。
やがて、自分の考えることに自信がなくなり、
麻原彰晃の言うなりになってしまうのだそうです。

「これについて、君はどう考えるんだ?」は、
普通の会社でも時々耳にする、先輩から後輩への言葉ですが、
これは、とても注意が必要な言葉です。
なぜなら、後出しジャンケンにできるからです。

ある問題について、「自分はこう考える。君はどう考える?」
ならば、これは議論になります。生産的です。
しかし、自分の考えを言わずに、相手の考えだけを喋らせると、
いくらでもその考えに難癖がつけられます。
これは、麻原彰晃の手法と同じように見えます。
相手の自信を剥奪する方法です。
これは、パワハラやモラハラの手法になると思います。


こういうことを言ってくる、
相手を見下したいだけの人間に対抗するためには、
問題を論理的に考え、論理的に答えるのが一番です。
相手を不愉快にさせないようにと、相手の顔色を伺った反応をしてしまうと、相手の思う壺です。
いつまでも、相手の愚痴や説教を聞かされるはめになり、
自分の時間と自信は奪われていきます。
こういう相手は、論点をころころ変えます。
相手の言葉尻に食いつきます。だから、口だけで反論しても、
言った言わないという下らない議論になりかねません。
だから、ホワイトボードや紙を使って、論点を書きながら
話をするのも効果的かもしれません。

でも僕は、議論をする気の無い、相手を見下したいだけの人間と議論をするのは時間の無駄だと思っています。
自分は安心しているかな?
自分は自信を持てているかな?
自分は自由に選べているかな?
を考えてみて、「そうじゃないな」と感じたら、
それは「暴力」という状態です。
それは、我慢しないほうがいいです。
こういう時は
「いやだと言ってもいいんだよ。」
「その場を離れてもいいんだよ。」
「誰かに相談してもいいんだよ。」
です。
ただ、同じ会社や組織の中だと、
ダイレクトに「いやだ」とは言いにくいし、
その場を離れるのも困難でしょう。
だから、直ちに、そのめんどくさい相手より上の人間に相談したらいいです。
いまや、まともな経営者は、「モラハラ」「パワハラ」には、相当に厳しい対処をするはずです。

もしも、経営者がそれをしてくれなければ、
労働基準監督署に相談すればいいです。
(ただし、優しい人は、自分の相談によって、相手が仕事を失うかもしれない、と思うと、ついつい相談を躊躇してしまうかもしれませんが、そういうパワハラ・モラハラな人がいると、下手したら会社が潰れます。みんなが仕事を失うかもしれません。と考えて、勇気を持って、相談したほうがいいと思います。)

僕は、いじめや暴力や児童虐待を無くしたいです。
そして、実はいじめや暴力は、学校よりも、
企業や組織の中の方がタチが悪いことを知っています。

多くの人は、ものごとを荒立てたくないです。
話し合いで、相互に譲歩してよりよくしたいです。
だからこそ、絶対に譲歩せず、ものごとを荒立てて、相手を支配しようとする人間のほうが、圧倒的に強くなってしまいます。

優しい人がわりを食うのは、面白くないです。
だからこそ、暴力に対して、暴力ではない方法で、
抗っていきたいです。
暴力を我慢しないで、いろんな人に相談するのが、
まずは一番の対策です。
弁護士の無料相談もあるし、人権擁護委員会というものもあるし、いろんなシステムを活用したらいいと思います。