「排他」ではなく「尊重と受容」がいいなあ。
今日は、赤平市内の全学校に、CAPワークショップのお願いに行ってきました。
全学校と言っても、もはや、中学校2校、小学校3校です。
だいぶん減ってしまいました。
毎年やっていることですが、
実はこの、学校まわりは、かなり憂鬱です。
なぜなら、過去には、ぼろぼろのけちょんけちょんの、
けんもほろろの、学校も少なからずあったからです。
CAPは、
安心しているかな?
自信を持てているかな?
自由に選ぶことができているかな?
もしも、そうじゃないと感じたら、
その状態は、そのままにしないほうがいいよ。
でも、改善する時に、相手の、安心と自信と自由を
奪っちゃいけないよ。
そのためには、
嫌だと言ってもいいんだよ。
逃げたり、離れたりしてもいいんだよ。
信頼できる人に相談してもいいんだよ。
ということを、参加型の劇を使いながら、
子どもたちに伝えてくれるワークショップです。
僕は、このワークを受けてくれた子たちが、
将来、一人で社会に出てから直面してしまう
「安心、自信、自由」を奪う人たちへの対応策に
なったらいいなあ、と思っています。
(学校でのいじめも改善するべきですが、社会に出てからの偏見や差別やいじめやパワハラの方が、よっぽどたちがわるいと思います。)
しかし、過去には、
「時間がない。」
「年間スケジュールに入っていない。」
「そんなことしても意味がない。」
「いまいじめはありませんから、必要ありません。」
などなど、いろんなことを言われてきました。
もちろん、中には、CAPのことを知っていて、
ぜひやりたい、と言ってくださる先生もいましたが、
これだけ世の中で「いじめ」の問題が重視されているのに、
CAPのことも一切知らない先生も沢山いたのには、
ちょっと驚きを感じました。
(あのころは、ネットで、「いじめ 予防」などと検索すると、CAPがすぐにヒットしたものです。)
かれこれ、10年ほどもやり続けたら、
いまでは、かなり好意的に対応していただけるようになりました。ありがたいことです。
でも、もしも途中で、おもしろくない先生に出会った時に、
「せっかくやってあげているのに、こんなこと言われるなんておもしろくねえ!やってられるか!」と投げ出していたら、こうはならなかったと思います。
僕は、いじめや虐待を無くしたいのです。
そのために、CAPのワークショップを、させて欲しいのです。
だから、どんなに嫌な先生にひどいことを言われても、
最終的に、子どもたちがCAPのワークショップを受けられたら、それでオッケーです。
自分のプライドやメンツなんで、どうでもいいです。
頭は、下げて通るなら、なんぼでも下げます。なんぼ下げても減らないです。(毛は減る。減った。)
明日のために、今日の屈辱に耐えるのだ。です。
ただ、とても素晴らしいCAPも、
なんでかしらないけど、東西に分かれてしまいました。
「尊重と受容」が大切だよ、と言ってる張本人が、
排他をしています。
そのせいか、いまでは、ネットで検索しても、
なかなか上位ヒットしなくなってきました。
(他の活動がどんどん増えているしね。)
でも、赤平市は、毎年、全小中学校で実施です。
中学校では、デートDV防止講座として提供しています。
(ファシリテータは僕です。僕が「愛」を語ります。資格も取ってきました。)
いまも世の中で起きている恐ろしい事件の背景には、
「排他」があるような気がします。
「排他」じゃなくて、「尊重と受容」でいけばいいのにね。