植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

自慢や他者評価に負けないために。

僕が子どもの頃は、体罰は当たり前だったそうです。
確かに僕も、ひどく体罰をされました。
すごく理不尽な体罰でした。
人格も否定され、心が壊されるような体罰でした。

だから僕は、「オレの若い頃は、体罰なんて当たり前だった。今の若いもんは、甘やかされているからダメなんだ。」という人が苦手です。
そこには、「オレは体罰なんかに負けない強さがあった」という自慢を感じてしまいます。

いじめにあって、つらい思いをしてる人に、
「そんなの、オレもやられたよ。でもオレは何ともなかった。だから、おまえも気にすんな!」って言うのは、
「そんないじめでくよくよするおまえが悪い!」という意味になります。

暴力を受けて、苦しい思いをしてる人に、
「そんなの、オレもやられたよ。おれはやりかえした。だからおまえもやり返せ!」と言ったら、それは、「やり返さなかったおまえが悪い!」という意味になります。

僕は、暑さにも寒さにも鈍いです。
仕事が忙しかったら、昼飯食わない、晩飯食わない、なんてのは、全然平気です。
(ロケットプレーン社のチャックも、忙しくなると、「植松さん、時間無いから昼飯スキップオッケーか?」と平気で聞いてくる人です。)
だからこそ僕は、そばにいる人を心配します。
暑くないかい?寒くないかい?おなか減ってないかい?
僕がわからないことで苦しんでいたらかわいそうです。

子ども達、とくに小さい子達は、僕たち大人よりも、低い場所にいます。そのため、アスファルトの照り返しをもろに受けています。
大人が涼しくても、子どもはチンチンに加熱されてることがあります。だからこそ、大人は、子どもの高さになって、地表付近の温度を調べる必要があります。
同じように、苦しんでいる人がいたら、その人の心がわかるように、その人の立場になって考えることが重要です。
それが、思いやりだと思います。

僕は「苦しい自慢」や「悲しい自慢」「つらい自慢」をしないように気をつけています。
それは、とっても不毛な自慢大会です。
それは、苦しんでいる人を傷つける事がある、思いやりの足りない自慢です。

僕が大学生の頃と比べたら、今の大学生が取得しなければならない単位数はかなり少ないです。
でも僕は、昔が良かったとは思わないし、「俺が若い頃は、こんなに沢山授業を受けていた。おまえらは甘い。」なんて考えもしないです。
だって、間違いなく、僕らよりも、今の子達の方が、新しい情報を得ているのです。僕らはもしかしたら、現在なら間違っているといわれることを教えられてるかもしれません。
だから、過去のことなんて、自慢しても、へたしたら恥ずかしい結果になるかもしれません。

自信の無い人が自慢をします。
自慢をするために、自分以下を作ります。見下します。評論します。

そんな人たちに、負けたら損です。
だって、嫌な人に負けて、嫌な人の思うとおりになるなんて、
悲しすぎます。

だから、負けないようにがんばった方がいいです。
でも、負けないために大事なのは、
相手を負かすことや、相手に勝つことではありません。
相手の思い通りにならないことです。
相手の自分に対する身勝手な評価を、自分の価値だと思い込まないことです。

この世に、ダメな人間はいません。
なぜなら、この世は、赤ちゃんからお年寄りまで、そもそも、
能力でも体力でも差がある人間で構成されているからです。

他人の自慢に押しつぶされないように。
「自分なんて・・・」と思い込まされないように。
自分の価値は、自分にしかわかりません。
だから、自分のことを褒めるのがとても大事です。
「意外とやるじゃん、自分!」と、時々自分を褒めてあげたら、
きっと、他者評価や、他人の自慢に負けない心になるかもしれません。

もちろん、ほかの人を褒めてあげることも、その人を強くします。
みんなで、おたがいの努力やがんばりを褒め合えたら、
いい世の中になるような気がします。