植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

「先生が悪い」「保護者が悪い」ではなく、「だったらこうしてみたら?」で。

なぜ、学校の事を書くと、
「先生が悪い」「保護者が悪い」
という問答になってしまうのか、僕には理解できません。
なぜ、「なにかのせい」にしようとし、
「じぶんのせいではない」と主張するのかな?

重要なのは、解決すべき問題点を明確にし、
解決する努力のはずです。

問題行動を起こす子どもが問題であれば、
それが、誰のせいなのかを議論してもしょうがないです。
そのこのためになにが出来るのかを考えるべきです。
もしも「特別な支援」が必要なら、それが受けられるように、
行動する事が有効なはずです。

船が氷山にぶつかったとします。
そのときに、「誰のせいだ!」「自分は悪くない!を議論してもしょうがないです。
まずは、船の状態を確認し、どうすべきか考え行動する事が重要です。

植松電機の製品を扱っていただく方は、ごく限定されています。
最も重要なのは、機械が故障したときに、どう行動するか、です。
「これ、だれのせいなの?うちのせいじゃないよね。誰がお金払うの?」しか言わず、現場にも行かない営業マンは、お断りです。
真っ先に現場に行き、状態を確認し、とにかく、お客さんの作業を止めないように最善を尽くそうとする営業マンは、大好きです。

航空機の事故調査では、犯人捜しではなく、再発防止が最重要事項です。
人間の疲労によるうっかりミスが原因だったら、疲労させないシステムを徹底させます。
人間の過重労働が原因のミスが原因だったら、過重労働にならないようシステムを改善します。

もしも、「忙しい」「へとへとだ」が原因で、解決できない問題があるのであれば、「忙しい」「へとへとだ」という状態を改善する努力をすべきだと思います。

そんなこと言ったって、「どーせなんにも変わりゃしないよ。」と思う人もいるかと思います。
それはそれでいいです。その人の自由です。
そして、「なにかのせい」にしようとし、「じぶんのせいではない」と主張するのも、その人の自由です。

でも僕は、児童虐待を無くしたいです。
僕は、児童虐待の原因は「どーせ無理」にあると思っています。
「どーせ無理」で可能性や努力をあきらめた人たちは、
そんな自分を正当化するために、「自分なんて・・・」「どーせ・・・」「無理・・・」という、出来ない理由を使うようになります。
努力できないから、成長出来ないから、自信を失っていきます。
自信が無いと困るから、自信を欲します。
お金で自信を買います。自慢します。見下します。人の努力を否定します。
そして、努力しないから、生み出せないから、奪うようになります。暴力以外にも、嘘をついたり、騙したり、弱いふりをしたり。
そして、こういう人たちは、他人の可能性や努力も奪います。
でも、自分より強い相手にはかかっていきません。
かならず弱い相手に向かいます。
だから、児童が犠牲になるのだろう。と、僕は考えたのです。
これは、僕の勝手な思い込みです。
でも、僕は、この連鎖を断ち切りたいです。


「先生が悪い」「保護者が悪い」で終わってしまう話しは、
なんの生産性もない、ただの批判です。
それは、「うぜえ!」「むかつく!」となんら変わりません。
聞いてる方も不愉快です。

だから、「だったらこうしてみたら」を考えることが重要です。
それが、「どーせ無理」にとらわれた思考を、前進させると思います。