植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

過ぎた繰り言取り越し苦労

先日のテレビを見てくださった方から、
「ひどいことをした相手を恨んだりしなかったんですか?」
と尋ねられました。
 
考えてみたら、恨んでないかも。
というか、そんなことしてるヒマなかったです。
恨んでるヒマがあったら、生き延びる手を考えた方がいいです。
 
嫌な思いをしたときに、
相手を、恨んだり、呪ったりするのは、時間の無駄です。
仮に、願いが通じて、その人に天罰が下ったとしても、
その人は、それを「ちぇっ、ついてねえなあ。」としか思わないでしょう。そして、さらにまわりの人にひどいことをするかもしれません。
 
いままで出会った、たいていの嫌な人は、かなり不運に見えます。それを恨んだり呪ったりしてるから、状態は改善されず、
その結果、心がすさんで、まわりの人に対しても、嫌なことをしてしまっているように見えます。悪循環です。
 
人生は、思うようにはいきません。
晴れたらいいなと思っていた日に、雨が降ったとき、
それを恨んでもどうしようもないです。
せっかく準備したのに、雨で台無しだ。こんな努力をしなければ良かった。努力は報われないんだ。なんて思うのも、まったく非論理的です。
 
すべきことをするのです。
 
自分が予測していなかった新たな条件が加わっただけです。
それを受け容れた上で、次の手を考えるのです。
それが「だったらこうしてみたら」なのです。
 
この言葉には、「こうしてみたら」の前に、「だったら」ってついてるでしょ。
これは、当初考えていたことと、ちがう状態になってることを意味しています。
それまでのアイデアとは、ちがう方法を考えようよ、という意味です。
 
あいつがあのとき、ああしなければ・・・
あいつがあのとき、こうしてくれたら・・・
あのとき、ああしていれば・・・
こうしていれば・・・
 
過ぎた繰り言、取り越し苦労。
 
失敗を、なかったことにしてはいけません。
失敗は、貴重なデーターです。
しかし、その失敗を悔やんだり恨んだりするのは、
時間の無駄です。
 
一度しかない人生を、恨んで過ごすか、リトライするか。
 
僕は、リトライを選びます。